クラシック戦線(1956年)
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「ニードルズ」の記事における「クラシック戦線(1956年)」の解説
この年のケンタッキーダービー(チャーチルダウンズ・5月5日・10ハロン)には17頭が集まり、その中でニードルズが単勝2.6倍の1番人気に推されていた。この競走でニードルズとアーブはスタートこそすんなり出たものの、直後にスピードを落として後方待機するという作戦に出た。ニードルズは17頭中の16番手に位置し、一方で先頭争いは2番人気のファビウスが制し、その後ろにターラング、ヘッドマン、カウントチックらの馬が続く展開となった。最初のコーナーを回ってバックストレッチに入った頃合いには先行集団が変化し、外を回るターラングとベンエージョーンズの2頭が先手を争い、ファビウスは3番手につけていた頃、ニードルズは先頭から20馬身離れたところに陣取っていた。スタートから6ハロンが過ぎた頃、ニードルズはまだ先頭から15馬身離されたところにいたが、ここから内ラチに思い切り体を寄せると猛進、最終コーナーを回ってきた頃には先頭にいるファビウスまで4馬身半まで迫っていた。最後の直線に入った時点でニードルズとファビウスの間には5頭の馬がいたが、アーブはニードルズをコースの中央に持ち出して鞭を振るい、残り1ハロンの標識時点で前にいる馬がファビウスのみというところまで追い上げ、そこからさらに鞭を振るってついに追い抜いてゴール、3/4馬身差で栄冠をもぎ取ることに成功した。この勝利はフロリダ産馬として初のアメリカクラシック競走制覇でもあった。 5月19日のプリークネスステークス(ピムリコ・9.5ハロン)において、ニードルズは単勝1.6倍の断然人気に支持され、それに雪辱を期すファビウスが2番人気3.5倍と続いていた。この競走においてもニードルズは後方待機策を取り、スタートから下げて9頭立ての最後尾につけて進み、一方で先行争いはファビウスが先手を狙うものと思われたが、そのファビウスはスタートで躓いて、結果3番手の位置で序盤を進めていった。第3コーナーからファビウスは動き出し、残り1.5ハロン地点で先頭に立つゴルフエースという馬に半馬身差まで詰め寄っていた。一方のニードルズも馬群の合間を縫って5番手まで進出、ファビウスまで5馬身半差まで迫っていた。最終コーナーの地点から、アーブはニードルズをコースの中央に持ち出して追い上げを開始、2番手にいたノーリグレッツという馬を交わしたが、その時点でファビウスは先にゴールに飛び込み、結果1馬身3/4差で2着に敗れた。 三冠最終戦のベルモントステークス(ベルモントパーク・6月16日・12ハロン)は8頭立てで行われ、ここでもニードルズとファビウスの両者が対決が行われた。1番人気は追い込みの競馬がコースに適しているとと考えられたニードルズで単勝1.6倍、2番人気にはゴーサムステークス勝ち馬のキャリーボーイと、ピーターパンハンデキャップ勝ち馬のジャズエイジがカップリングで4.5倍、合間にジャージーステークスを制してきたファビウスは3番人気6.0倍に支持されていた。この競走でまず先頭に立ったのはシャルルヴォワという馬で、同馬がスタートから6ハロン地点までハイペースで飛ばしていくなか、ニードルズはここでも先頭から22馬身半離れた後方につけて道中を進めていった。6ハロン地点から100ヤードほど進んだところで動いたのはファビウスで、疲れてきたシャルルヴォワを追い抜いて先頭に立つと、続いてきたリッチタヴィという馬に2馬身差のリードを保って8ハロン地点まで進めていった。そして残り2ハロンの標識地点でファビウスは2番手キャリアボーイに7馬身の差をつけており、このまま逃げ切るかと思われたところでニードルズが追い込みをかけてきた。ニードルズはファビウスを相手に残り1ハロン地点で1馬身半差まで詰め寄ると、ファビウスは残り半ハロンの地点でついに力尽き、ニードルズが先頭を奪い取った。そこに追い上げてきたのがキャリアボーイで、同馬はファビウスを交わしてニードルズに迫ってきたが、ニードルズはこれをクビ差抑え込んでゴール、二冠を達成した。ファビウスは1馬身半差の3着に入っている。
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クラシック戦線
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「デヴィルダイヴァー」の記事における「クラシック戦線」の解説
3歳初戦として出走した4月のフェニックスハンデキャップは古馬混合戦で、ここには前年の三冠馬ワーラウェイが出走していた。断然1番人気のワーラウェイに比べ、デヴィルダイヴァーには軽いハンデを科されたことも味方し、同馬をアタマ差で破る大金星を挙げた。 この件もあってか、5月のケンタッキーダービーではシャットアウトとカップリング扱いで1番人気に推された。フェニックスハンデキャップで手綱を取ったエディ・アーキャロも、デヴィルダイヴァーが同じ馬主でお手馬であったシャットアウトよりも優れていると感じ、そちらへの騎乗を決めていた。しかし、本番のレースでは中団待機で進めるも、最後の直線に入って伸びず、僚馬シャットアウトの戴冠から7馬身遅れて6着に終わった。 翌戦プリークネスステークスではケンタッキーで2着のアルサブが優勝、デヴィルダイヴァーは8着とさらに見せ場のない敗北を喫した。このためベルモントステークスには向かわず、翌戦は一般競走へと出走している。この年はフェニックスハンデキャップ以外は一般戦勝ちのみと、シーズン前半に比べて地味な後半戦を送った。
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クラシック戦線(1957年)
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「ボールドルーラー」の記事における「クラシック戦線(1957年)」の解説
フロリダダービーの後、フィッツシモンズ調教師はボールドルーラーをニューヨークに戻し、4月のジャマイカ競馬場で行われたウッドメモリアルステークス(9ハロン)に出走させた。ここではギャラントマンとの対決になり、ボールドルーラー鞍上のアーキャロはスローペースを作って楽勝するかに思えたが、最後の直線でギャラントマンが猛然と追い込み、ともに1分48秒80のトラックレコードでゴール、ハナ差でボールドルーラーがギャラントマンを降した。 1957年5月4日のケンタッキーダービー(チャーチルダウンズ・10ハロン)にはボールドルーラーのほか、アイアンリージやギャラントマン、ブルーグラスステークスを制してきたラウンドテーブルなどが集う一方、本来最も人気を集めていたジェネラルデュークが跛行のため当日に出走を取り消していた。このため、当日に集った約90,000人の観衆が選ぶ1番人気にボールドルーラーが押し上げられ、単勝オッズは2.2倍にまでなっていた。レースはフェデラルヒルが先頭に立ち、その後ろにボールドルーラー、その後ろ3番手にアイアンリージがつける展開で道中進んでいった。残り2ハロンというところでアイアンリージが先頭に襲い掛かり、残り1ハロンの標識時点でアイアンリージがフェデラルヒルを半馬身捉えると、そこに後方一気のギャラントマンが猛追してきた。この後ギャラントマンは鞍上のウィリー・シューメーカーがゴール板を誤認して失速、その隙にアイアンリージがゴールにハナ差先んじて飛び込んで優勝を手にした。一方で、ボールドルーラーは直線で失速、ラウンドテーブル(3着)にも抜かれて4着で競走を終えた。この競走でのアーキャロの騎乗について、手綱を早く引きすぎて失速したのだと責める声もあり、アーキャロ自身も後年「(ボールドルーラーは)実に頭の良いやつで、私よりよく競馬を知っているとしか考えられない。なにしろペース配分まで自分で勝手に決めるんだから。ケンタッキーダービーでは手綱を引きすぎて彼に悪いことをしたと今でも思っている」と語っている。 続く2冠目のプリークネスステークス(ピムリコ・9.5ハロン)は5月18日で、ギャラントマンやラウンドテーブルが回避する一方で、ボールドルーラーはその5日前に行われたプリークネスプレップという8.5ハロンの一般競走に出走、これを勝って本番に臨んだ。プリークネスステークス当日は32,856人の観衆が見守るなか行われ、有力馬が回避したこともあって、アイアンリージが1番人気単勝2.2倍に推され、またボールドルーラーは2番人気2.4倍と人気を分けていた。小回りで直線の短いピムリコ競馬場で先行策をとることを案じた陣営は、この日のためにボールドルーラーに後方にスリットの入った特注のブリンカーを用意、また繊細な口元につける馬具も改良した。レースが始まり、ゲートが開くとフェデラルヒルとボールドルーラーが先頭争いをはじめ、結果ボールドルーラーが先手を奪う。2番手にフェデラルヒル、そしてアイアンリージはフェデラルヒルの2馬身後方につけて前半が進んでいった。前半4ハロンで46秒40というハイペースで、フェデラルヒルが脚を使い果して下がっていくなか、アイアンリージは鞍上のビル・ハータックが合図をかけるものの反応は鈍く、一方でボールドルーラーは止まることなくゴール、1分56秒20のタイムで優勝を手にした。アイアンリージは2馬身離された2着、クビ差で3着に大穴55倍のインサイドトラクトという馬が入っている。 6月15日に迎える三冠最終戦のベルモントステークス(ベルモントパーク・12ハロン)までの短い間、ボールドルーラーは休養に充てられて英気を養った。アイアンリージが骨折のため回避した同競走において、目下のライバルはピーターパンハンデキャップを制してきたギャラントマンで、ボールドルーラーとギャラントマン(およびギャラントマン陣営のペースメーカーであるボールドネロ)はともに単勝4.9倍と人気で並び立っていた。レースはプリークネスと同様のボールドルーラーによる素早いスタートダッシュに始まり、先頭に立つボールドルーラーにボールドネロが追いかけることで、ペースを大幅に上げる展開を繰り広げていた。10ハロン通過時点のタイムは2分01秒40で、これはワーラウェイのケンタッキーダービーでの走破レコードタイムと同じという驚異的なペースであった。その10ハロン時点でギャラントマンと鞍上のシューメーカーは動き出し、先頭までの7馬身差を縮めはじめていった。ギャラントマンはまもなくボールドルーラーを捉え、その先に残っていたインサイドトラクトをも突き放して8馬身差の圧勝、ダート12ハロンの全米レコードを15年ぶりに塗り替える2分26秒60のタイムで優勝した。ボールドルーラーはインサイドトラクトから4馬身遅れて3着でゴールしている。
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クラシック戦線(2013年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/31 14:33 UTC 版)
「パレスマリス」の記事における「クラシック戦線(2013年)」の解説
三冠競走を目指す3歳シーズンの初戦は1月19日、ガルフストリームパーク競馬場でのAOC(アローワンスオプショナルクレーミング競走・ダート7ハロン)で2着に終わった。続く2月23日のリズンスターステークス(フェアグラウンズ・ダート8.5ハロン・G2)で重賞競走に初挑戦、レースでは第3コーナーからまくりをかけて進出、最後の直線で先頭に立っていたオクスボウを捕らえるが、アイヴストラックナーヴとコードウェストの2頭にも抜かれて3着に敗れた。その後ルイジアナダービー(フェアグラウンズ・ダート10ハロン・G2)7着をはさみ、ケンタッキーダービー直前のプレップレースとしてキーンランド競馬場のブルーグラスステークス(AW10ハロン・G1)に出走した。パレスマリスは先行集団につけて道中を進み、先頭を走っていたリディラック(Rydilluc)を最後の直線でかわして先頭に立ったが、最後尾から追い上げてきたジャヴァズウォー(Java's War)にクビ差追い抜かれて2着に敗れた。 大一番であるケンタッキーダービー(チャーチルダウンズ・ダート10ハロン・G1)にも出走、今までの競走で騎手からパレスマリスが視界の広さにおびえた様子を見せていたことを指摘されていたこともあり、新たにブリンカーを装着して臨んだ。レースでは開幕からハナを奪って進み、バックストレッチまでハイペースでの逃げを展開していたが、最終コーナーで疲れて失速、12着と大敗した。 ケンタッキーダービーにはパレスマリスのほかにもプレッチャー厩舎の馬が4頭出走していたが、プレッチャーは2冠目のプリークネスステークスを全頭回避させた。一方で3冠目にあたる6月8日のベルモントステークス(ベルモントパーク・ダート12ハロン・G1)にはパレスマリスのほか、アーカンソーダービー勝ち馬のオーバーアナライズ、ケンタッキーダービー3着のレヴォリューショナリーら5頭を登録した。前走ではブリンカーを装着したパレスマリスであったが、装着した結果調子を崩して大敗したと考えた陣営は、再びブリンカーを外して競走に臨んだ。6月8日当日の最終オッズで、最も人気を集めたのはケンタッキーダービー勝ち馬のオーブ(単勝オッズ3.20倍)で、パレスマリスは単勝14.80倍であった。発走から先手を争ったのはフラックダディ(Frac Daddy)・オクスボウ・フリーダムチャイルド(Freedom Child)の3頭で、パレスマリスはその後ろ4番手につけて道中を進めていった。バックストレッチからコーナーに入るにあたって、2頭が脱落してオクスボウが先頭に残るようになると、パレスマリスもオクスボウを追い抜くよう動き出し、そしてコーナー途中でこれを捕らえた。最後の直線、追いすがるオクスボウと、後方から追い上げてきたオーブが迫ってくるも、パレスマリスはそのまま差を広げてゴール、2着オクスボウに3馬身1/4差をつけて優勝した。競走後、鞍上を務めたマイク・スミスは「ブリンカーを外したことが勝利の鍵だった。ダービーのときも視界が広ければもっといいレースだったろう。今回はリラックスして気持ちよさそうに、常に楽しんで走っていた」と語り、またドッグウッドステーブル代表のコット・キャンベルは「言っておこう、これは素晴らしい時代の始まりだと。私はドッグウッドとそのパートナー、祝福してくれるエイキンの町、トッドという偉大な調教師、マイク・スミスという素晴らしい騎手、そしてこの馬を誇りに思う」と喜びを語った。
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クラシック戦線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/19 05:04 UTC 版)
「シャム (競走馬)」の記事における「クラシック戦線」の解説
4月、シャムはナイトリードーンとともに東海岸へと遠征、ケンタッキーダービー直前のプレップレースであるウッドメモリアルステークスに出走した。この競走には、前年のエクリプス賞最優秀2歳牡馬にして年度代表馬のセクレタリアトが出走していたが、断然の1番人気であったセクレタリアトに先着し、2着を確保した。 しかし、セクレタリアトに先着したのは、それが最初で最後であった。ケンタッキーダービーでは、ダート1マイル4分の1(10ハロン・約2012メートル)を2分を切るタイムで走破したにもかかわらず、その先を行ったセクレタリアトに2馬身半差の2着に敗れた。ほかに2分を切るタイムで走破した馬は2001年のケンタッキーダービー馬モナーコスだけである。続くプリークネスステークスでも同じ着順、同じ着差で敗れる。両レースの3着馬はアワネイティヴであり、着差はともに8馬身突き放している。ベルモントステークスでは前半の6ハロンこそセクレタリアトと並びかけて競走したが、その後ずるずる後退、31馬身差の歴史的大差で優勝したセクレタリアトから遠く離された最下位の5着に沈んだ。 この競走からほどなくして、シャムは調教中に管骨を骨折した。手術こそうまくいったものの、3歳シーズン半ばにして引退を余儀なくされた。
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クラシック戦線(1937年前半)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 07:18 UTC 版)
「ウォーアドミラル」の記事における「クラシック戦線(1937年前半)」の解説
コンウェイ調教師はリチャードジョンソンハンデキャップの後に、ウォーアドミラルを半年間の休養に当てて成長に期待したが、3歳の春を迎えても体格は相変わらず小さいままであった。同年初戦のアローワンス競走(ハバディグレイス 6ハロン)では、持ち前のスピードを生かして2馬身半差で楽勝した。その10日後のチェサピークステークス(ハバディグレイス 8.5ハロン・約1709メートル)では、サンタアニタダービーを勝ってきたフェアリーヒルや、フラミンゴステークス勝ち馬のコートサンダルなどが出走していた。レースでは鞍上のカートシンガーがスタートしてすぐにウォーアドミラルを前に出すと、そのまま後続を離したまま逃げ続け、最後には後続に6馬身の差をつけての圧勝を遂げた。リドルはそれまでケンタッキーダービーを意識していなかったが、この勝利を見て初めて挑戦しようと考えた。 1937年5月8日、同年のケンタッキーダービーは総賞金5万ドルの高額賞金競走として行われ、20頭の出走馬と7万人の観客がチャーチルダウンズ競馬場に集めるなか、ウォーアドミラルは1番人気に推されていた。カートシンガーはウォーアドミラルを早々と先頭に立たせると、正確に1馬身のリードを保ちながら進めた。4コーナーでポンプーンが迫ってきたのを見ると、カートシンガーが後続の突き放しにかかり、3馬身差まで開いたところで追うのをやめて軽々とゴール、2着ポンプーンとは1馬身3/4差がついたままの優勝を遂げた。 この年のプリークネスステークス(9.5ハロン・約1911メートル)はケンタッキーダービーから1週間後に、そして同じく5万ドル競走として行われた。このレースでウォーアドミラルが素早く先頭に立ったが、ウェイン・ライト(英語版)の騎乗するポンプーンがコーナーの隙でインコースから割り込み、ウォーアドミラルに並び掛けてきた。2頭は後続を引き離して接戦を繰り広げたが、ライトがポンプーンを必死に鞭で叩くのに対し、カートシンガーは軽い鞭使いに留めた。結果アタマ差の勝利となったが、実質それ以上の差をもって二冠を制した。 それから3週間後のベルモントステークス(12ハロン・約2414メートル)では、ウォーアドミラルと対戦することを恐れる陣営が続出し、7頭立ての競馬となった。この日のウォーアドミラルは非常に興奮しており、何度も発馬機を押し開いてしまったので、スターターはウォーアドミラルが並んだ瞬間にゲートを開いた。これに驚いたウォーアドミラルはゲートの地上部分に右前肢を引っかけて切り傷を負ったが、それでも果敢に先頭に立った。道中は常に3馬身くらいのリードを保って進み、最後の直線に入ってもその距離は縮まることはなく、力を抑えたまま2着シーンシフターに3馬身差をつけて優勝、史上4頭目の三冠を達成した。勝ち時計の2分28秒6は、当時のダート12ハロンのアメリカレコードとタイ記録でもあった。ウォーアドミラルはスタートの時に作った傷から出血しており、ゴールした時には腹や後肢に血飛沫が痛々しく散っていたが、痛みを訴える様子もなかったので、カートシンガーはウィナーズサークルで下馬するまでこれに気付いていなかった。 ベルモントステークスで負った傷の療養のため、ウォーアドミラルは10月まで休みに当てられた。
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クラシック戦線(2013年)
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「オクスボウ」の記事における「クラシック戦線(2013年)」の解説
5月4日、この年のケンタッキーダービー(G1・チャーチルダウンズ・ダート10ハロン)は不良馬場のなか行われた。この競走では本来1番枠だったブラックオニキスという馬が直前で出走取消し、その影響でオクスボウは最内1番枠から幸運に恵まれたが、スタート直後に隣のレヴォリューショナリー(Revolutionary)にぶつかり後退、ハナを奪うことに失敗した。先頭に立ったのはブルーグラスステークス(G1)2着馬のパレスマリスで、次いでサンタアニタダービー(G1)勝ち馬のゴールデンセンツが2番手につけた形で最初のコーナーが過ぎ、オクスボウはバックストレッチに入ってから順位を上げていった。パレスマリスが力尽きて失速すると、今度はノルマンディインベーション(Normandy Invasion)が先頭に立ち、オクスボウは2番手で第3コーナーに差し掛かった。最終コーナーから後続集団が猛追をかけると、オクスボウは4頭の馬にかわされて6着でゴール、優勝したオーブから9馬身以上離されての完敗であった。 オクスボウは続く2冠目のプリークネスステークス(ピムリコ・ダート9.5ハロン・G1)にも登録され、ピムリコ入りしたルーカスはスティーヴンスとオクスボウについて「彼と一緒にやるのは宿命みたいなものだし、運も上向いてきたし、彼も馬(オクスボウ)のことを理解してくれたみたいだ」と語り自信を覗かせていた。当日の馬券人気は2冠目のかかったオーブに集中し、一方でオクスボウは9頭中ブービー人気の16.40倍であった。発走のベルとともに6番枠から飛び出したオクスボウは、直後に隣7番にいたウィルテイクチャージと接触するが、すぐに体勢を立て直し、目下の先頭だったゴールデンセンツからハナを奪うことに成功した。独走するオクスボウに競りかけてくる馬はなく、最初の2ハロンが23秒94、4ハロンが48秒60と、そのペースはスローであった。その様子に鞍上のスティーヴンスが「何が起きている? からかわれているのか?」と漏らすくらいで、レース後にはスティーヴンスが「1マイルのところまで、犬が歩くようなペースだった」と語るほどであった。6番手に控えていたオーブも、オクスボウが6ハロンを過ぎたあたりで動き出したものの、壁に阻まれて立ち往生していた。1マイルの標識が過ぎると、外側4番手に控えていたイッツマイラッキーデイが最終コーナーから2番手にまで前進し、最後の直線で後方から追い上げてきたマイリュート(Mylute)とともオクスボウに迫るが、オクスボウはそのまま逃げ切りに成功、イッツマイラッキーデイに1馬身3/4差をつけて栄冠を手にした。勝ちタイムは1分57秒54。調教師のルーカスとしてはプリークネスステークス優勝最多タイ記録となる6勝目、鞍上のスティーヴンスはプリークネスステークス3勝目、馬主のカルメットファームとしては1968年のフォワードパス以来の優勝であった。 ルーカスはオクスボウをベルモントステークス(ベルモントパーク・ダート12ハロン・G1)に登録し、同じく最後の1冠を狙いに来たオーブと再び対戦する運びとなった。6月8日当日の直前オッズで人気を集めていたのオーブで単勝3.20倍、オクスボウは4番人気で11.10倍であった。スタートから先行集団につけたオクスボウは、同じく先団のフラックダディ(Frac Daddy)とフリーダムチャイルド(Freedom Child)の2頭と激しく先頭を争い、最初のコーナーを回ってバックストレッチに入ったところでオクスボウが先頭に立った。バックストレッチから第3コーナーに向かうところで競っていた2頭が失速していく一方で、4番手に控えていたパレスマリスが外側から追い上げを開始、オクスボウはコーナーの途中で抜かれてしまう。そこに後方に控えていたオーブが追い込みをかけてきて、最後の直線ではこのオーブの猛追を抑えながらも、パレスマリスに3馬身1/4差で届かず2着に敗れた。
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