クラシック戦線とは? わかりやすく解説

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クラシック戦線(1956年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/28 04:44 UTC 版)

ニードルズ」の記事における「クラシック戦線(1956年)」の解説

この年ケンタッキーダービー(チャーチルダウンズ・5月5日10ハロン)には17頭が集まりその中でニードルズ単勝2.6倍の1番人気に推されていた。この競走ニードルズアーブスタートこそすんなり出たものの、直後スピード落として後方待機するという作戦出たニードルズ17頭中の16番手に位置し一方で先頭争い2番人気ファビウス制しその後ろにターラング、ヘッドマン、カウントチックらの馬が続く展開となった最初のコーナー回ってバックストレッチ入った頃合いには先行集団変化し、外を回るターラングとベンエージョーンズの2頭が先手争いファビウス3番につけていた頃、ニードルズ先頭から20馬身離れたところに取っていた。スタートから6ハロン過ぎた頃、ニードルズはまだ先頭から15馬身離されところにいたが、ここからラチ思い切り体を寄せると猛進最終コーナー回ってきた頃には先頭にいるファビウスまで4馬身半まで迫っていた。最後直線入った時点ニードルズファビウスの間には5頭の馬がいたが、アーブニードルズコース中央持ち出して鞭を振るい残り1ハロン標識時点前にいる馬がファビウスのみというところまで追い上げ、そこからさらに鞭を振るってついに追い抜いてゴール3/4馬身差で栄冠もぎ取ることに成功した。この勝利フロリダ産馬として初のアメリカクラシック競走制覇でもあった。 5月19日プリークネスステークス(ピムリコ・9.5ハロン)において、ニードルズ単勝1.6倍の断然人気支持され、それに雪辱期すファビウス2番人気3.5倍と続いていた。この競走においてもニードルズ後方待機策を取りスタートから下げて9頭立て最後尾につけて進み一方で先行争いファビウス先手を狙うものと思われたが、そのファビウススタート躓いて結果3番手の位置序盤進めていった。第3コーナーからファビウス動き出し残り1.5ハロン地点先頭に立つゴルフエースという馬に半馬身差まで詰め寄っていた。一方ニードルズ馬群合間を縫って5番手まで進出ファビウスまで5馬身半差まで迫っていた。最終コーナー地点から、アーブニードルズコース中央持ち出して追い上げ開始2番手にいたノーリグレッツという馬を交わしたが、その時点でファビウス先にゴール飛び込み結果1馬3/4差で2着に敗れた三冠最終戦ベルモントステークス(ベルモントパーク・6月16日12ハロン)は8頭立て行われ、ここでもニードルズファビウス両者対決が行われた。1番人気は追い込み競馬コース適しているとと考えられニードルズ単勝1.6倍、2番人気にはゴーサムステークス勝ち馬のキャリーボーイと、ピーターパンハンデキャップ勝ち馬ジャズエイジカップリング4.5倍、合間ジャージーステークス制してきたファビウス3番人気6.0倍に支持されていた。この競走でまず先頭立ったのはシャルルヴォワという馬で、同馬がスタートから6ハロン地点までハイペース飛ばしていくなか、ニードルズはここでも先頭から22馬身離れた後方につけて道中進めていった。6ハロン地点から100ヤードほど進んだところで動いたのはファビウスで、疲れてきたシャルルヴォワ追い抜いて先頭に立つと、続いてきたリッチタヴィという馬に2馬身差のリード保って8ハロン地点まで進めていった。そして残り2ハロン標識地点ファビウス2番手キャリアボーイに7馬身の差をつけており、このまま逃げ切るかと思われたところでニードルズ追い込みをかけてきた。ニードルズファビウス相手残り1ハロン地点1馬身半差まで詰め寄ると、ファビウス残りハロン地点でついに力尽きニードルズ先頭奪い取った。そこに追い上げてきたのがキャリアボーイで、同馬はファビウス交わしてニードルズ迫ってきたが、ニードルズはこれをクビ抑え込んでゴール二冠達成したファビウス1馬身半差の3着に入っている。

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クラシック戦線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/08/19 19:53 UTC 版)

デヴィルダイヴァー」の記事における「クラシック戦線」の解説

3歳初戦として出走した4月のフェニックスハンデキャップは古馬混合戦で、ここには前年三冠馬ワーラウェイ出走していた。断然1番人気のワーラウェイ比べデヴィルダイヴァーには軽いハンデ科されたことも味方し、同馬をアタマ差で破る大金星挙げた。 この件もあってか、5月ケンタッキーダービーではシャットアウトカップリング扱いで1番人気に推された。フェニックスハンデキャップで手綱取ったエディ・アーキャロも、デヴィルダイヴァーが同じ馬主お手馬であったシャットアウトよりも優れている感じ、そちらへの騎乗決めていた。しかし、本番レースでは中団待機進めるも、最後直線入って伸びず、僚馬シャットアウト戴冠から7馬身遅れて6着に終わった。 翌戦プリークネスステークスではケンタッキーで2着のアルサブ優勝デヴィルダイヴァーは8着とさらに見せ場のない敗北喫したこのためベルモントステークスには向かわず、翌戦は一般競走へと出走している。この年はフェニックスハンデキャップ以外は一般戦勝ちのみと、シーズン前半に比べて地味な後半戦送った

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クラシック戦線(1957年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 05:00 UTC 版)

ボールドルーラー」の記事における「クラシック戦線(1957年)」の解説

フロリダダービーの後、フィッツシモンズ調教師ボールドルーラーニューヨーク戻し4月ジャマイカ競馬場行われたウッドメモリアルステークス(9ハロン)に出走させた。ここではギャラントマンとの対決になり、ボールドルーラー鞍上のアーキャロはスローペース作って楽勝するかに思えたが、最後直線ギャラントマン猛然と追い込み、ともに1分4880トラックレコードゴールハナ差でボールドルーラーギャラントマン降した1957年5月4日ケンタッキーダービー(チャーチルダウンズ・10ハロン)にはボールドルーラーのほか、アイアンリージギャラントマンブルーグラスステークス制してきたラウンドテーブルなどが集う一方、本来最も人気集めていたジェネラルデュークが跛行のため当日出走取り消していた。このため当日集った90,000人の観衆が選ぶ1番人気にボールドルーラー押し上げられ単勝オッズ2.2倍にまでなっていた。レースはフェデラルヒルが先頭に立ち、その後ろにボールドルーラーその後3番手にアイアンリージがつける展開で道中進んでいった。残り2ハロンというところでアイアンリージ先頭襲い掛かり残り1ハロン標識時点アイアンリージがフェデラルヒルを半馬身捉えると、そこに後方一気ギャラントマン猛追してきた。この後ギャラントマン鞍上ウィリー・シューメーカーゴール板誤認して失速、その隙にアイアンリージゴールハナ先んじて飛び込んで優勝を手にした。一方でボールドルーラー直線失速ラウンドテーブル(3着)にも抜かれて4着で競走終えた。この競走でのアーキャロの騎乗について、手綱早く引きすぎて失速したのだと責める声もあり、アーキャロ自身後年「(ボールドルーラーは)実に頭の良いやつで、私よりよく競馬知っているとしか考えられない。なにしろペース配分まで自分勝手に決めるんだから。ケンタッキーダービーでは手綱を引きすぎて彼に悪いことをしたと今でも思っている」と語っている。 続く2冠目のプリークネスステークス(ピムリコ・9.5ハロン)は5月18日で、ギャラントマンラウンドテーブル回避する一方でボールドルーラーその5日前行われたプリークネスプレップという8.5ハロン一般競走出走、これを勝って本番臨んだプリークネスステークス当日32,856人の観衆見守るか行われ、有力馬が回避したこともあって、アイアンリージが1番人単勝2.2倍に推され、またボールドルーラー2番人気2.4倍と人気分けていた。小回り直線の短いピムリコ競馬場先行策をとることを案じた陣営は、この日のためにボールドルーラー後方スリット入った特注ブリンカー用意、また繊細な口元につける馬具改良したレース始まりゲートが開くとフェデラルヒルとボールドルーラー先頭争いをはじめ、結果ボールドルーラー先手を奪う。2番手にフェデラルヒル、そしてアイアンリージはフェデラルヒルの2馬身後方につけて前半進んでいった。前半4ハロン4640というハイペースで、フェデラルヒルが脚を使い果して下がっていくなか、アイアンリージ鞍上ビル・ハータック合図をかけるものの反応鈍く一方でボールドルーラー止まることなくゴール、1分5620タイム優勝を手にした。アイアンリージは2馬身離された2着、クビ差で3着に大穴55倍のインサイドトラクトという馬が入っている。 6月15日迎え三冠最終戦ベルモントステークス(ベルモントパーク・12ハロン)までの短い間、ボールドルーラー休養充てられて英気養ったアイアンリージ骨折のため回避した競走において、目下ライバルはピーターパンハンデキャップを制してきたギャラントマンで、ボールドルーラーギャラントマン(およびギャラントマン陣営ペースメーカーであるボールドネロ)はともに単勝4.9倍と人気並び立っていた。レースプリークネス同様のボールドルーラーによる素早いスタートダッシュ始まり先頭に立つボールドルーラーにボールドネロが追いかけることで、ペース大幅に上げる展開を繰り広げていた。10ハロン通過時点タイムは2分0140で、これはワーラウェイケンタッキーダービーでの走破レコードタイムと同じという驚異的なペースであった。その10ハロン時点ギャラントマン鞍上シューメーカー動き出し先頭までの7馬身差を縮めはじめていったギャラントマンはまもなくボールドルーラー捉えその先残っていたインサイドトラクトをも突き放して8馬身差の圧勝ダート12ハロン全米レコード15年ぶりに塗り替える2分2660タイム優勝したボールドルーラーはインサイドトラクトから4馬身遅れて3着でゴールしている。

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クラシック戦線(2013年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/31 14:33 UTC 版)

パレスマリス」の記事における「クラシック戦線(2013年)」の解説

三冠競走目指す3歳シーズン初戦1月19日ガルフストリームパーク競馬場でのAOC(アローワンスオプショナルクレーミング競走ダート7ハロン)で2着に終わった。続く2月23日のリズンスターステークス(フェアグラウンズ・ダート8.5ハロンG2)で重賞競走初挑戦レースでは第3コーナーからまくりをかけて進出最後直線先頭立っていたオクスボウ捕らえるが、アイヴストラックナーヴとコードウェストの2頭にも抜かれて3着に敗れたその後ルイジアナダービー(フェアグラウンズ・ダート10ハロンG2)7着をはさみ、ケンタッキーダービー直前プレップレースとしてキーンランド競馬場ブルーグラスステークス(AW10ハロン・G1)に出走したパレスマリス先行集団につけて道中進み先頭走っていたリディラック(Rydilluc)を最後直線かわして先頭立ったが、最後尾から追い上げてきたジャヴァズウォー(Java's War)にクビ追い抜かれて2着に敗れた大一番であるケンタッキーダービー(チャーチルダウンズ・ダート10ハロン・G1)にも出走今まで競走騎手からパレスマリス視界広さおびえた様子見せていたことを指摘されていたこともあり、新たにブリンカー装着して臨んだレースでは開幕からハナ奪って進みバックストレッチまでハイペースでの逃げ展開していたが、最終コーナー疲れて失速12着と大敗したケンタッキーダービーにはパレスマリスのほかにもプレッチャー厩舎の馬が4頭出走していたが、プレッチャーは2冠目のプリークネスステークスを全頭回避させた。一方で3冠目にあたる6月8日ベルモントステークス(ベルモントパーク・ダート12ハロン・G1)にはパレスマリスのほか、アーカンソーダービー勝ち馬のオーバーアナライズ、ケンタッキーダービー3着のレヴォリューショナリーら5頭を登録した。前走ではブリンカー装着したパレスマリスであったが、装着した結果調子崩して大敗した考えた陣営は、再びブリンカー外して競走臨んだ6月8日当日最終オッズで、最も人気集めたのはケンタッキーダービー勝ち馬オーブ単勝オッズ3.20倍)で、パレスマリス単勝14.80倍であった発走から先手争ったのはフラックダディ(Frac Daddy)・オクスボウ・フリーダムチャイルド(Freedom Child)の3頭で、パレスマリスその後4番につけて道中進めていった。バックストレッチからコーナーに入るにあたって、2頭が脱落してオクスボウ先頭に残るようになると、パレスマリスオクスボウ追い抜くよう動き出し、そしてコーナー途中でこれを捕らえた最後直線追いすがるオクスボウと、後方から追い上げてきたオーブ迫ってくるも、パレスマリスそのまま差を広げてゴール、2着オクスボウに3馬身1/4差をつけて優勝した競走後鞍上務めたマイク・スミスは「ブリンカー外したことが勝利の鍵だった。ダービーのときも視界広ければもっといレースだったろう。今回リラックスして気持ちよさそうに、常に楽しんで走っていた」と語り、またドッグウッドステーブル代表のコット・キャンベルは「言っておこう、これは素晴らし時代始まりだと。私はドッグウッドとそのパートナー祝福してくれるエイキンの町、トッドという偉大な調教師マイク・スミスという素晴らし騎手、そしてこの馬を誇りに思う」と喜び語った

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クラシック戦線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/19 05:04 UTC 版)

シャム (競走馬)」の記事における「クラシック戦線」の解説

4月シャムはナイトリードーンとともに東海岸へと遠征ケンタッキーダービー直前プレップレースであるウッドメモリアルステークス出走した。この競走には、前年エクリプス賞最優秀2歳牡馬にして年度代表馬セクレタリアト出走していたが、断然の1番人であったセクレタリアト先着し、2着を確保した。 しかし、セクレタリアト先着したのは、それが最初で最後であったケンタッキーダービーでは、ダート1マイル4分の110ハロン・約2012メートル)を2分を切るタイム走破したにもかかわらずその先行ったセクレタリアトに2馬身半差の2着に敗れた。ほかに2分を切るタイム走破した馬は2001年ケンタッキーダービーモナーコスだけである。続くプリークネスステークスでも同じ着順、同じ着差敗れる。両レースの3着馬はアワネイティヴであり、着差はともに8馬身突き放している。ベルモントステークスでは前半の6ハロンこそセクレタリアト並びかけて競走したが、その後ずるずる後退31馬身差の歴史的大差優勝したセクレタリアトから遠く離され最下位の5着に沈んだ。 この競走からほどなくしてシャム調教中に管骨を骨折した手術こそうまくいったものの、3歳シーズン半ばにして引退余儀なくされた。

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クラシック戦線(1937年前半)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 07:18 UTC 版)

ウォーアドミラル」の記事における「クラシック戦線(1937年前半)」の解説

コンウェイ調教師はリチャードジョンソンハンデキャップの後に、ウォーアドミラル半年間の休養当てて成長期待したが、3歳の春を迎えて体格は相変わらず小さいままであった。同年初戦アローワンス競走ハバディグレイス 6ハロン)では、持ち前スピード生かして2馬身半差で楽勝した。その10日後のチェサピークステークス(ハバディグレイス 8.5ハロン・約1709メートル)では、サンタアニタダービー勝ってきたフェアリーヒルや、フラミンゴステークス勝ち馬のコートサンダルなどが出走していた。レースでは鞍上のカートシンガーがスタートしてすぐにウォーアドミラル前に出すと、そのまま後続離したまま逃げ続け最後に後続に6馬身の差をつけての圧勝遂げたリドルそれまでケンタッキーダービー意識していなかったが、この勝利を見て初め挑戦しよう考えた1937年5月8日同年ケンタッキーダービーは総賞金5万ドル高額賞金競走として行われ20頭の出走馬と7万人観客チャーチルダウンズ競馬場集めるなか、ウォーアドミラルは1番人気に推されていた。カートシンガーはウォーアドミラル早々先頭立たせると、正確に1馬身のリード保ちながら進めた。4コーナーでポンプーンが迫ってきたのを見ると、カートシンガーが後続突き放しにかかり、3馬身差まで開いたところで追うのをやめて軽々ゴール、2着ポンプーンとは1馬3/4差がついたままの優勝遂げたこの年プリークネスステークス(9.5ハロン・約1911メートル)はケンタッキーダービーから1週間後に、そして同じく5万ドル競走として行われた。このレースウォーアドミラル素早く先頭立ったが、ウェイン・ライト英語版)の騎乗するポンプーンがコーナーの隙でインコースから割り込みウォーアドミラル並び掛けてきた。2頭は後続引き離して接戦繰り広げたが、ライトがポンプーンを必死に鞭で叩くのに対し、カートシンガーは軽い鞭使い留めた。結果アタマ差の勝利となったが、実質それ以上の差をもって二冠制した。 それから3週間後のベルモントステークス12ハロン・約2414メートル)では、ウォーアドミラル対戦することを恐れ陣営続出し、7頭立て競馬となった。この日のウォーアドミラルは非常に興奮しており、何度も発馬機押し開いてしまったので、スターターウォーアドミラル並んだ瞬間ゲート開いた。これに驚いたウォーアドミラルゲート地上部分に右前肢を引っかけ切り傷負ったが、それでも果敢に先頭立った道中は常に3馬身くらいのリード保って進み最後直線入ってもその距離は縮まることはなく、力を抑えたまま2着シーンシフターに3馬身差をつけて優勝史上4頭目三冠達成した。勝ち時計の2分28秒6は、当時ダート12ハロンのアメリカレコードとタイ記録でもあった。ウォーアドミラルスタート時に作った傷から出血しており、ゴールした時には腹や後肢血飛沫痛々しく散っていたが、痛み訴え様子もなかったので、カートシンガーはウィナーズサークル下馬するまでこれに気付いていなかった。 ベルモントステークス負った傷の療養のため、ウォーアドミラル10月まで休み当てられた。

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クラシック戦線(2013年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/30 17:29 UTC 版)

オクスボウ」の記事における「クラシック戦線(2013年)」の解説

5月4日この年ケンタッキーダービー(G1・チャーチルダウンズ・ダート10ハロン)は不良馬場のなか行われた。この競走では本来1番だったブラックオニキスという馬が直前出走取消し、その影響オクスボウ最内1番から幸運に恵まれたが、スタート直後に隣のレヴォリューショナリー(Revolutionary)にぶつかり後退ハナを奪うことに失敗した先頭立ったのはブルーグラスステークス(G1)2着馬のパレスマリスで、次いでサンタアニタダービー(G1)勝ち馬のゴールデンセンツが2番につけた形で最初のコーナーが過ぎ、オクスボウバックストレッチ入ってから順位上げていった。パレスマリスが力尽きて失速すると、今度はノルマンディインベーション(Normandy Invasion)が先頭に立ち、オクスボウ2番手で第3コーナー差し掛かった最終コーナーから後続集団猛追をかけると、オクスボウは4頭の馬にかわされて6着でゴール優勝したオーブから9馬身以上離されての完敗であったオクスボウは続く2冠目のプリークネスステークス(ピムリコ・ダート9.5ハロン・G1)にも登録され、ピムリコ入りしたルーカススティーヴンスオクスボウについて「彼と一緒にやるのは宿命みたいなものだし、運も上向いてきたし、彼も馬(オクスボウ)のことを理解してくれたみたいだ」と語り自信覗かせていた。当日馬券人気は2冠目のかかったオーブ集中し一方でオクスボウは9頭中ブービー人気の16.40倍であった発走ベルとともに6番から飛び出したオクスボウは、直後に隣7番にいたウィルテイクチャージ接触するが、すぐに体勢立て直し目下先頭だったゴールデンセンツからハナを奪うことに成功した独走するオクスボウ競りかけてくる馬はなく、最初の2ハロン2394、4ハロン4860と、そのペーススローであったその様子に鞍上スティーヴンスが「何が起きている? からかわれているのか?」と漏らすくらいで、レース後にはスティーヴンスが「1マイルのところまで、が歩くようなペースだった」と語るほどであった。6番手控えていたオーブも、オクスボウが6ハロン過ぎたあたりで動き出したものの、壁に阻まれ立ち往生していた。1マイル標識が過ぎると、外側4番手に控えていたイッツマイラッキーデイが最終コーナーから2番手にまで前進し最後直線後方から追い上げてきたマイリュート(Mylute)とともオクスボウに迫るが、オクスボウそのまま逃げ切り成功、イッツマイラッキーデイに1馬3/4差をつけて栄冠を手にした。勝ちタイムは1分5754調教師ルーカスとしてはプリークネスステークス優勝最多タイ記録となる6勝目鞍上スティーヴンスプリークネスステークス3勝目馬主カルメットファームとしては1968年フォワードパス以来優勝であったルーカスオクスボウベルモントステークス(ベルモントパーク・ダート12ハロン・G1)に登録し同じく最後の1冠を狙いに来たオーブと再び対戦する運びとなった6月8日当日直前オッズ人気集めていたのオーブ単勝3.20倍、オクスボウ4番人気で11.10倍であったスタートから先行集団につけたオクスボウは、同じく先団のフラックダディ(Frac Daddy)とフリーダムチャイルド(Freedom Child)の2頭と激しく先頭争い最初のコーナー回ってバックストレッチ入ったところでオクスボウ先頭立ったバックストレッチから第3コーナーに向かうところで競っていた2頭が失速していく一方で4番手に控えていたパレスマリス外側か追い上げ開始オクスボウコーナー途中で抜かれてしまう。そこに後方控えていたオーブ追い込みをかけてきて、最後直線ではこのオーブ猛追抑えながらも、パレスマリスに3馬身1/4差で届かず2着に敗れた

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