タイムラインとアラブダービー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/10/23 01:37 UTC 版)
「スカレー (競走馬)」の記事における「タイムラインとアラブダービー」の解説
1971年に船橋競馬場の木村万吉厩舎からデビューすると、順調に使われて3勝を挙げた。馬インフルエンザによる開催休止が明けた4歳2月にはクラシック戦線へ向けての前哨戦である準重賞・アラブジュニアーに出走したが、ここはタマガワホースの3着に敗れる。ただし、この競走では前年の全日本アラブ争覇勝ち馬のタイムラインが調整不足が祟り着外となっており、これはスカレーがタイムラインに生涯で唯一先着した競走となった。この直後、タイムラインは当時所属馬の水準・賞金額ともに上昇著しかった兵庫県の園田競馬場へと、2000万円もの高額でトレードされる。 次走となった八王子記念で、スカレーは逆にタマガワホースを4馬身差で下して重賞初勝利を挙げた。中心を失ったクラシック戦線の有力馬の1頭に名乗りを挙げたスカレーだが、姫路へ出走していたタイムラインが2戦して2勝を挙げただけで、再トレードにより南関東公営競馬へと戻って来てしまう。そして再戦となった南関東アラブ三冠の1冠目・千鳥賞で、スカレーはタイムラインに3馬差をつけられる惨敗を喫した。 雪辱を誓ったアラブダービーでは、逃げるタイムラインに対してスカレーは2番手でぴったりと追走。3・4コーナーで既に2頭のマッチレースとなったが、直線では差を縮めるどころかじりじりと引き離されるばかり。3着のピースマウンテンには6馬身差をつけたとはいえ、レコード勝ちのタイムラインに対して2 1/2馬身差の2着に終わった。このあと、タイムラインはふたたび園田競馬場へと移籍し、同地の重賞戦線を荒らし回る。
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