第56師団の防衛態勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 04:35 UTC 版)
これに対して、怒江正面の防衛を担任する日本軍は、わずかに松山祐三中将の率いる第56師団(18,820名)のみだった。同師団は昭和17年5月のビルマ攻略作戦当時、敗走する中国軍を追って怒西地区に進出し、それ以来丸2年、引き続き同地区にあってその防衛を担当してきた。この間、師団は怒西地区に侵入する重慶軍の一部に対し、数次にわたり果敢な掃討戦を反復し、その都度この敵を怒江東岸に撃退した。しかし、英印軍のインパール反攻作戦に呼応した雲南遠征軍の侵攻は、これまでの小規模な掃討作戦と異なり、ビルマ防衛の死命を制する重大な作戦と予想された。 絶対優勢の遠征軍を邀撃する第56師団にとっては、少ない兵力を効果的に配置する観点から、敵情を事前諜知し、敵の主攻勢方面を正確に判断することは極めて重要だった。そうした中で、昭和19年2月、中国軍飛行機1機が濃霧のため騰越に不時着し、第56師団は新暗号書および雲南遠征軍の編成職員表を入手することに成功した。以後の第56師団の善戦は、師団将兵が戦場の地形を詳知していたことにもよるが、暗号解読に負うところが絶大だった。実際に5月初頭、中国軍の暗号解読により、第56師団は遠征軍の反攻開始期日と主攻方面を事前に把握しており、これにより師団は反撃態勢を整えることが可能となった。 なお、5月中旬時点で、第56師団の戦力は配属部隊を含め歩兵6個大隊半基幹に過ぎなかった。これは、苦戦が続くフーコン方面への増援とミイトキーナ守備隊の強化のために、逐次兵力を抽出された結果だった。
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