オグリキャップの登場と交流元年
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「地方競馬」の記事における「オグリキャップの登場と交流元年」の解説
1987年、笠松競馬場でのちに第二次競馬ブームを牽引するオグリキャップがデビューを迎える。これ以前から続いていたバブル景気による経済状態の好転もあって、地方競馬の開催成績もようやく上向きをみせた。1989年には生産者らの団体が主体となって、ホッカイドウ競馬にてブリーダーズゴールドカップが設立されている。また騎手招待競走のような企画・交流競走も華々しく行われ、1988年には兵庫県競馬組合が通算2000勝以上の名手たちが高額賞金を賭けて戦うゴールデンジョッキーカップを創設。1989年から1993年にかけては、国外からも招待騎手を招いたインターナショナルクイーンジョッキーシリーズが開催されている。各主催者だけでなく、地方競馬全国協会も1990年からは地方競馬全体の表彰としてNARグランプリを開催し、従来の機関誌『地方競馬』が一般競馬ファンも対象とした『Furlong』へと衣替えするなど、時代に合わせた広報活動へと転換していく。 一方で、オグリキャップやオグリローマン、イナリワンのような傑出馬を輩出しながらも、活躍の場を求めて中央競馬への移籍を許してしまったことは、地方競馬関係者からすればその心境は複雑であった。また、中央競馬の側も国際化な日本競馬の地位向上において、地方競馬との協調を進める必要に迫られたことから、1995年より中央競馬と地方競馬の間で交流元年と呼称される、相互交流の大幅拡大が実施されることになった。多くの地方競馬場にて中央競馬所属馬が出走可能な指定交流競走と、日本中央競馬会が賞金の90%を援助し、1着馬に中央競馬で施行される条件戦のうち特別指定競走への出走権利を付与するとともに中央競馬への転入を優遇するJRA3歳認定競走が設けられた。また、各ブロックの代表選定競走を勝利するなどした馬には中央競馬の最高格付け競走たるGI競走に向けた前哨戦への出走権が与えられ、さらにはそこで好走することでGI競走本体へも出走する道が開かれた。果たして、この交流元年初年度から笠松所属のライデンリーダーが、桜花賞のトライアル競走である4歳牝馬特別で勝利。本番の桜花賞こそ4着だったものの、中央競馬の3歳牝馬クラシック3戦全てに出走を果たしている。1996年には日本中央競馬会、地方競馬全国協会、全国公営競馬主催者協議会によってダート競走格付け委員会が組織され、翌1997年より中央競馬・地方競馬を横断した重賞競走の格付けであるダートグレード競走制度が導入された。2001年からは、全国の地方競馬場での持ち回り開催となるJBC競走が創設されている。 そして1999年、中央競馬の東京競馬場で開催されたフェブラリーステークスを岩手所属のメイセイオペラが制し、地方競馬所属馬による中央競馬開催GI初制覇を達成した。同年にはレジェンドハンターがデイリー杯3歳ステークスを逃げ切り、本番の朝日杯3歳ステークスでも2着。2004年にはホッカイドウ競馬で認定厩舎制度を利用したコスモバルクが、中央3歳牡馬クラシック戦線へ有力馬の1頭として参戦し人気を集めた。その後も果敢に芝路線への挑戦を続け、シンガポールのクランジ競馬場で開催された国際GIであるシンガポール航空インターナショナルカップを制する快挙を成し遂げている。 中央競馬と地方競馬の交流については日本の競馬#中央競馬と地方競馬の交流を参照
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