オグルヴィ&メイザー社設立
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「デイヴィッド・オグルヴィ」の記事における「オグルヴィ&メイザー社設立」の解説
マンハッタンへの移住後、1948年にオグルヴィは後で別のロンドン代理店を買収した兄フランシスによって運営されているロンドンの代理店の裏で彼自身の広告代理店を運営していたS.H.ベンソンを買収し、オグルヴィ&ベンソン&メイザーを設立する。 1951年にアイパッチをしたロシア人貴族ジョージ・ランゲル男爵を起用したC.F.ハサウェイのシャツの広告を皮切りに、エドワード・ホワイトヘッド司令官を起用したシュウェップスのキャンペーンや、またロールス・ロイスの”At 60 miles an hour the loudest noise in this new Rolls-Royce comes from the electric clock.”(時速60マイルで走るロールス・ロイスの中で一番大きく響くのは電気時計だけです)といったキャンペーン広告が話題を呼ぶと共に、この他にも同社の有名なキャンペーンの1つとして、ユニリーバの石鹸、ダヴの”Only Dove is one-quarter moisturizing cream.”(数ある石鹸の中でダヴだけが、4分の1の潤いを与えているクリームです)で、これにより、ダヴがアメリカの市場でベストセラーとなることになった。 オグルヴィは「新しいクライアントを得る最高の方法が、彼の既存のクライアントのために顕著な仕事をすることである」と考えており、 彼の早めのキャンペーンにおける成功は、オグルヴィが他の大きなクライアント(例えばロールスロイスとシェル)を得るのを助けると共に、新しいクライアントは後に続くと共に、オグルヴィの企業は速く成長することになる。 1973年に、オグルヴィはオグルヴィ&メイザー社の社長を退いて、フランス・トゥフォーへと移る。 オ&メ社のヘッドとしての日々の活動にもはや関与しない間も、彼は様々な企業と接触していた。同地の郵便局では、高位の地位と郵便局長の給料で分類し直されたほど、劇的に彼の通信量はボンヌの近くの町で取り扱われるメール量を増やしたという逸話がある。
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