オグルニウス法
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オグルニウス法(オグルニウスほう、ラテン語: lex Ogulnia)は、紀元前300年に成立したローマ法の一つである。長年に渡って続いたローマにおけるパトリキとプレブスの身分闘争の一里塚とも言える法で、当年の護民官、クィントゥスとグナエウス・オグルニウス兄弟によって提出された。クィントゥスは紀元前269年の執政官クィントゥス・オグルニウス・ガッルスと同一人物とも考えられている。
概要
この法によって、初めて最高神祇官を含む種々の神官職がプレブスに対して開かれると同時に、神祇官職やアウグルの定員がそれぞれ4人であったところを、神祇官は4人、アウグルは5人、プレブス出身の定員を追加した。これによって定員のほぼ半数をプレブスが占める事となり、紀元前254年にはプレブスから初の最高神祇官、ティベリウス・コルンカニウスを生むこととなった。
初年度の追加メンバー
神祇官
アウグル
- プブリウス・アエリウス・パエトゥス
- ガイウス・ゲヌキウス・アウグリヌス
- ガイウス・マルキウス・ルティルス・ケンソリヌス
- マルクス・ミヌキウス・ファエスス
- ティトゥス・プブリリウス
参考文献
- T. R. S. Broughton. The Magistrates of the Roman Republic Vol.1 (American Philological Association, 1951年, 1986年再版) pp.172-173
- ティトゥス・リウィウス, 『ローマ建国史』10.6
関連項目
外部リンク
オグルニウス法
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「アッピウス・クラウディウス・カエクス」の記事における「オグルニウス法」の解説
紀元前300年、護民官であったクィントゥスとグナエウスのオグルニウス兄弟によって、今までパトリキによって独占されていた神官とアウグルを増員し、プレブスをねじ込む法案が提案された。アッピウスはこれに反対し、支持派のデキウス・ムスと論争になった。デキウスはプレブス出身であり、同名の父は第二次ラティウム戦争においてローマの勝利のため我が身を生贄とした英雄である。彼は独裁官、騎兵長官、プラエトル、ケンソル、シビュラの書管理委員といった要職がプレブスに開放されてきた事実を並べて支持を訴え、一度は護民官の拒否権によって投票を妨害されたものの、オグルニウス法は成立した。
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