中間キャリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/08 03:38 UTC 版)
「プブリウス・デキウス・ムス (紀元前312年の執政官)」の記事における「中間キャリア」の解説
紀元前306年、その年の独裁官プブリウス・コルネリウス・スキピオ・バルバトゥスの下で副官に任命され、紀元前304年にはクィントゥス・ファビウス・マクシムス・ルリアヌスと共にケンソルになった。紀元前312年にケンソルを務めたカエクスがローマ全土のトリブス(選挙区)に登録していた解放奴隷を、ローマ市内の4つのトリブスだけに登録しなおした。また7月のディオスクーロイの祭りの際に行われる騎馬行列も彼らが始めたと伝えられている。 紀元前300年には神官職をプレブスに開放するオグルニウス法を支持し、神祇官に追加された最初のプレブスの一人となった。キケロは、デキウスと同時代のプレブスの有力者であるガイウス・ファブリキウス・ルスキヌス、マニウス・クリウス・デンタトゥス、そしてこのオグルニウス法のおかげで初めてプレブス出身の最高神祇官となったティベリウス・コルンカニウスとの友誼を伝えている。
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