第二次競馬ブーム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 05:48 UTC 版)
1980年代後半より1990年代前半にかけて起こったブーム。武豊とオグリキャップの活躍、およびバブル景気との相乗効果が要因とされる。タマモクロス、サッカーボーイ、平成三強と呼ばれたオグリキャップ、スーパークリーク、イナリワン、さらにはアイネスフウジン、メジロライアン、メジロマックイーン、トウカイテイオーなどの名馬の活躍、1988年に公開された競馬映画『優駿 ORACION』のヒットも競馬人気に貢献した。 競走馬の活躍だけが発端となった前回の第一次競馬ブームとは異なり、この第二次競馬ブームでは競走馬だけではなく騎手の活躍もブーム発生の要因となり、競走馬だけではなく騎手などの競馬関係者にも目を向けるようになったファンも急増したことから、前回を遥かに超える規模のブームとなった。前回と同様に比較的若い女性のみならず、前回にはなかった、勝馬投票券購入不可能な幼年層の子供の競馬ファンまでもが急増し、一種の社会現象にもなった。具体的な現象としては、第一次ブーム下の1973年に記録された東京優駿での最多入場者記録(約16万人)が1990年に破られた(約19万人)。オグリキャップの引退レースとなる第35回有馬記念でも、入場者数が約17万人となった。また、中央競馬の売上も急増し、1987年には2兆円弱であったものが1990年には3兆円を超えた。その後も増え続け、1997年には4兆円を超えたこともあったが、20世紀末より減少傾向となった。 その後、1990年代より2000年代にかけて『みどりのマキバオー』や『馬なり1ハロン劇場』、『風のシルフィード』などの競馬漫画のヒットや『ダービースタリオン』や『ウイニングポストシリーズ』、さらに『STARHORSE』などの競馬ゲームのヒットなどにより、幼年層より若年層に掛けての競馬ファンが性別を問わずに増えた。
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