トウカイテイオー
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トウカイテイオー(欧字名:Tokai Teio、1988年4月20日 - 2013年8月30日)は、日本の競走馬、種牡馬。
トウカイテイオーの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | パーソロン系 | [§ 2] | ||
父 シンボリルドルフ 1981 鹿毛 日本 | 父の父 *パーソロンPartholon 1960 鹿毛 アイルランド | Milesian | My Babu | |
Oatflake | ||||
Paleo | Pharis | |||
Calonice | ||||
父の母 スイートルナ1972 栗毛 日本 | スピードシンボリ | *ロイヤルチャレンジャー | ||
スイートイン | ||||
*ダンスタイム Dance Time | Palestine | |||
Samaritaine | ||||
母 トウカイナチュラル 1982 鹿毛 日本 | *ナイスダンサー Nice Dancer 1969 鹿毛 カナダ | Northern Dancer | Nearctic | |
Natalma | ||||
Nice Princess | Le Beau Prince | |||
Happy Night | ||||
母の母 トウカイミドリ1977 鹿毛 日本 | *ファバージ Faberge | Princely Gift | ||
Spring Offensive | ||||
トウカイクイン | *アトランテイス | |||
トツプリユウ | ||||
母系(F-No.) | 19号族・星友の分枝(FN:19-b) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Milesian 3×5 | [§ 4] | ||
出典 |
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注釈
- ^ 本馬が優勝したジャパンカップが同年より国際G1競走に認定されたため。
- ^ ローマンは7歳まで現役を続行して1987年の京都大賞典を勝利し、鞍上の武豊は重賞初勝利を果たしている[12]。ローマンは現役を引退した1988年にシンボリルドルフと交配され、翌年牡馬のトウカイテイムスを出産したが、同馬は未勝利のまま引退した[13]。
- ^ 安田はこの日JRA新記録となる1日6勝を挙げ、このレースは2勝目に当たる[25]。
- ^ 掛かる、引っ掛かる=抑えようとする騎手の手綱に反し、ペース配分ができないこと。
- ^ 若葉ステークスでは、安田が2発鞭を入れたともされている[29]。
- ^ シャコーグレイドは現役時代にシンボリルドルフに三度敗れたミスターシービーの産駒であったことも注目された[39][40]。
- ^ 戦前は皐月賞と同じ大外枠だったため不利云々が懸念されたが、安田はイブキマイカグラが出走を辞退したことで人気が一本かぶりになり、また大外枠なら最後に枠入りができ、前週行われた優駿牝馬は勝ち馬のイソノルーブルが同じ20番枠で勝利していたため縁起がいいと感じたという[43]。
- ^ 馬番が20より大きい馬の優勝はこれ以前にもあった。
- ^ レース中に故障を発症したことが判明すると、3馬身の着差があったもののゴール前まで追い続けた安田に一部で批判が集中し[51]、岡部幸雄もサンケイスポーツ紙上で「もし直線で左ムチを使っていたら、骨折は防げたかもしれない」と安田の騎乗を指摘したとされている[50][52]。ただし、安田は松元に「目一杯追ってみたい」という意向を伝えていた[48][53]。
- ^ 当年の菊花賞にはレオダーバンが優勝したが、長浜牧場場長の長浜秋一は「この菊花賞でダービーの2着馬が勝ったということは、テイオーにとって大きな誇りであるはずだ」と感じ[54]、安田は後に菊花賞に出走していたら勝てたかという問いに「もちろん、僕としては勝っていたと、そう信じてるよ」と答え[55]、ライターの阿部珠樹は「無事なら三冠は確実だっただろう」と述べている[56]。
- ^ 作家の木村幸治は、天皇賞後の観戦記に寄せて「この名文句が、トウカイテイオーにピタリと貼り付いて一人歩きしたことは確かだ」と述べている[69]。
- ^ 5歳以降でマックイーンが2番人気以下に落ちたのはこのときのみであった。
- ^ ユーザーフレンドリーを管理するクライヴ・ブリテンは「本当のチャンピオンを決めるレース」と評した。
- ^ 当初の田原は主戦を務めていたサンエイサンキューに騎乗する予定だったが、サンケイスポーツとのトラブルによって同馬の主戦から降板していた[92][93]。有馬記念でサンエイサンキューの鞍上は加藤和宏が務めたが、同馬はレース中の事故で競走中止となり[94]、翌年10月に亡くなった[95]。
- ^ この日のメインレースは第10レース「東京スポーツ杯 (OP) 芝2400m」である[116]。前週 (日曜日)のメインレースは第11レース「府中牝馬S(G3) 芝1600m」である[117]。
- ^ このことについて大川慶次郎は「シャコーグレイドっていうのは面白い馬だね。テイオーの姿が見えると走るのに、テイオーがいなくなったら全然走らなくなっちゃった。引退式の日ですらそうなんだから」と述べている[120]。
- ^ 1位はエルコンドルパサー(1998年優勝)。
- ^ ライターの阿部珠樹は、「こうした去り方も、考えてみればいかにもトウカイテイオーらしい。トウカイテイオーの生涯には常に驚きがあった。彼は誰よりも人を驚かせるのが好きな馬だったと言えるかもしれない」と述べている[131]。
- ^ 日本における他のパーソロン系(ヘロド系)種牡馬はメジロマックイーンの直仔であるギンザグリングラスただ1頭のみという状況である。
- ^ 目標額600万円に対し7,883,000円 (131.4%)の支援が集まった。
- ^ 長浜牧場の長浜スミ子は前述の2歳時に130センチの牧柵を飛び越えて無傷であったテイオーを見て「何て柔らかい馬なんだろう」と驚いたと回想している[154]。
- ^ 松元省一は「立たせてみれば条件馬の方がいくらでも良い馬がいると思うんですけど、歩かせてみるといくらかよく見えるし、キャンターをやると、また良さが分かる。そしてギャロップをやるとまた違うんです。スローモーションで見ると、全身がスプリングみたいなんですよ」と述べている[19]。
- ^ 安田隆行は初めて跨ったときの印象として「まるでゴムまりだった。あれほど、ずっと乗り心地の良い馬は、テイオーだけだった」と述べている[155]。
- ^ 岡部幸雄は「ルドルフの良さをそっくり受け継いでいるような乗り味の馬」[156]、「テイオーはルドルフのフットワークの良さと繊細さを受け継いだ馬」[157]と述べている。
- ^ 田原成貴は調教で初めて跨った際の印象について「これほど筋肉と関節が柔らかく、バランスの良さを感じさせる乗り味の馬は初めてだった」と語り[91]、「馬に乗ったとき、普通なら膝や腰に伝わってくる衝撃が、テイオーの場合は飛節、球節で全部抜けてしまうんです。サスペンションが優れている、というのかな。とにかく乗り味の素晴らしい馬でしたね」と述べている[99]。
- ^ 調教助手の戌亥信昭は「何と言っても印象的なのは、あの素晴らしい乗り味ですね。"背中が柔らかい"と俗に言いますが、本当に何とも言えない乗り心地なんです」と述べている[158]。
- ^ 二風谷軽種馬共同育成センター場長の岡本幸広は、「いざまたがってみると、ことのほかクッションが利いていて、全身これバネといった感じ。乗り味の点でいえば"爽快"というしかありません」と述べている[8]。
- ^ 競馬評論家の石川ワタルは、「自分でリズムを取るようにして、とくに後ろ脚のクッションをきかせて、とにかく優美な歩き方をする。競馬を覚えてもう四半世紀が過ぎたが、こんなに気品を感じさせる歩様の馬には、他に出会ったことがない」と述べている[118]。
- ^ ライターの須田鷹雄は「特に印象深いのは、後肢の繋のバネである。あれだけ魅力的な常歩をする馬が、かつていただろうか ?」と述べている[159]。
- ^ 作家の井口民樹は「テイオーのパドックを見た私の感じから言えば、バレリーナの歩き方である。馬の隊列に、一人踊り子が混じっているという印象をいつも受けた。逞しさよりも、天を駆けているような柔らかさが感じられた」と評し、若葉ステークスで関東のファンからこの歩様に嘲笑したファンがいたことについても、「決してブザマではない」と述べている[160]。
- ^ ライターの阿部珠樹は、「まるでバネ付きの靴をはいているように、グニャグニャと柔らかな歩き方。この柔らかさが飛ぶような走法を生み出し、卓越した競走成績につながったのだろう」と述べている[131]。
- ^ 岡部幸雄は「やはり何回も怪我して休んだことが、マイナスになったんだろうね。鍛えるべき時に鍛えられなかったことが、一番のネックだったんだと思う」と述べ[99]、「骨折しないで順調に鍛錬を積めていたら、また違うテイオーが存在していたはずです」と述べている[98]。
- ^ 長浜牧場の長浜恵美子は、出生直後の臍の緒が付いた段階で「何て品のある馬だろう、肌が薄くてビロードみたい。脚は長いし、うちの他の馬とはまるで違う」と感じたと回想している[154]。
- ^ 安田隆行は初見の印象として「貴公子だなあ」との感想を抱き、まずその容貌に惹かれたと述べている[170]。
- ^ 田原成貴は騎乗する前の印象として「バネのある柔らかそうな馬、そして非常に品がある馬だな、というイメージを持っていました。実際に乗って感じた印象もほぼイメージの通り」と述べている[99]。
- ^ 野平祐二は「能力ばかりでなく気品に満ちた佇まいも、テイオーは父から受け継いでいますよね」と評している[6]。
- ^ 石川ワタルは、「トウカイテイオーは、何よりもまず、素質を感じさせる馬だった。それと、一目見て気品を感じる」と述べている[171]。
- ^ 木村幸治は、1993年秋に二風谷軽種馬育成センターを訪れてテイオーを見た際のことについて「真昼の陽光を浴びて体毛がビロードのように光っている」と振り返っている[172]。
- ^ ライターの山河拓也は「何もかも完璧な美青年だった。端正な顔立ち、凛とした額の流星。首から背中、しなやかなフォルム。パドックに響く蹄音まで、すべてが美しかった」と評し、「トウカイテイオーが走れば、道が開いた。十戒の海のごとく、ふたつに割れた」と表現している[173]。
- ^ ライターの石田敏徳は「テイオーが様々な名馬とは一線を画した存在として私たちの心に刻まれたのは、起伏に富んだ足跡も去ることながら、"気品に裏打ちされた美しさ"も理由の一つだろう」と述べている[6]。
- ^ 山河拓也は、天皇賞(春)後に二度目の骨折を経験したことで「美麗な皇太子は、狂気の帝王に」変身したと表現している[173]。
- ^ 「テイオーは大人しい馬だった。厩舎に来てから引退するまで、手が掛かるとか、大変だと思ったことは一度もない。すごく利口な馬だったからね。意味もなく暴れたりするような、無駄なことは一切しない馬だったよ」[158]
- ^ 安田隆行は「こんな利口な馬はいなかった。鞍上の思ったペースで走れる稀有な名馬でした」と述べている[179]。
- ^ 柿元純司は「とにかく仕事をしやすい馬で、気の悪いところが一切ない。走る馬であれほどおとなしい馬も珍しい」と語っている[5]。また自身が装蹄を担当したテイオーの産駒についても「素直な性格をよく引き継いでますね」と語っている[5]。
- ^ 東は「知らない人が厩舎に来ても、決して口を掴ませなかった。馬房の前のパドックに放したときに、何か気に入らないことがあったりしても、なかなか掴ませてくれない。普段はすごく従順な馬なのに、そういう面は徹底していた。やっぱり、プライドが高かったのかな」と述べている[158]。
- ^ 戌亥は「普段は素直なんですが、その一方で気の強い面もありました。何か気になることや気に入らないことがあると、それを納得するまで頑として動かないようなところがあった」と述べている[158]。
- ^ 岡元は「なにしろプライドの高い馬だから、いったん気分を害したら、なかなか機嫌を直してくれない」と述べている[18]。
- ^ 徳武はテイオーの担当者が「面倒を見るのが楽なタイプ」だったと話していたというものの、テイオーは治療を非常に嫌う馬で「採血ひとつで大変な騒ぎになりましたし、獣医さんの白衣を見るだけでダメでしたね。目が血走って凄かったです」と語り、「手はかからないけど触らせない。孤高の王様みたいな部分を持っていたような気がします。その点では、気持ちのすごく強い馬でした」と述べている[162]。
- ^ 岡部幸雄はシンボリルドルフを挙げた[185]。
- ^ 作家の木村幸治はルドルフの時代からの競馬ファンの変容を指摘し「『強すぎて完璧すぎて』嫌われたルドルフの子を、構わず支持するファンのパワーを目の当たりにすると、ノスタルジーや物語性をも構わず『強いものは強い』と豪語する新世代競馬ファンの著しい台頭があったと思われる」と述べている[190]。
- ^ ルドルフの熱狂的ファンを公言する競馬漫画家のよしだみほは、「父と違って人懐こく、父にはなかった温かい雰囲気を持ち、ファンから父とは違う愛され方をした」と評している[191]。
- ^ 大川慶次郎は、「幾度もの挫折を乗り越えて、大きなレースを勝つ。そういうところが多くの人の共感を呼んだのだと思います」と述べている[161]。
- ^ 作家の典厩五郎は「テイオーがかくも圧倒的な人気を獲得した原因は、一言で言うなら、波瀾万丈でそのドラマティックな生き様にあったと言えるだろう」と評している[192]。
- ^ 競馬に造詣の深いタレントの田中裕二(爆笑問題)は雑誌『優駿』のアンケートで「21世紀に伝えたい名馬」としてテイオーを挙げ、「シンボリルドルフの初年度産駒にして超エリート、能力プラス劇的さを持った馬」と評している[193]。
- ^ ライターの阿部珠樹は、「オグリキャップの復活劇が代表的なものだが、瀬戸際に追い詰められたような馬が驚くような反撃、復活を見せることは時々ある。だが、それはたいてい一度限りのことだ。ところが、トウカイテイオーは下降と上昇、失墜と復活を何度も演じて見せた。この山と谷の差の大きさがトウカイテイオーとほかの名馬とを分かつ最大の違いだろう」と述べている[194]。
- ^ ライターの河村清明は、「トウカイテイオーの描いた軌跡はジェットコースターのようでもあり、バンジージャンプのようでもある」と表現し、「僕たちはどうしても、テイオーの見た目のカッコよさや、一般に"テイオーステップ"と呼ばれる独自の歩様にばかり目が行く。と同時に、競走生活の起伏に心を奪われ続ける」と述べている[182]。
出典
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