脚質
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/15 16:49 UTC 版)
脚質(きゃくしつ)とは、競馬や自転車競技などにおける競技対象の走行の方法に関する分類のことである。
注釈
- ^ 終盤までスタミナを保てるようなスローペースなど、ペース配分が馬に適していたり、作戦どおりに運ぶことのできたレースについて総括する場合に用いられる。
- ^ 但し、全ての馬がスタートが得意ということはなく、プリテイキャストの様にスタートが下手な逃げ馬もいる。
- ^ 競馬用語で「テンの速さ」という。
- ^ 最後の直線で再加速する事を、競馬においては「二の脚を使う」と言う。
- ^ 戦術面での融通性を優先し、通常は気性や能力に問題が無ければ先行・差しを目指す。例えば、サイレンススズカも当初は先行、もしくは差しの戦法で走らせようと陣営が試みている。
- ^ 実際、プリティキャストやイングランディーレの天皇賞やカツラギエースのジャパンカップにおける逃げ切りは、前述の人気薄で警戒されなかったことも要因の一つとなっている。
- ^ 現在は規定上最大18頭に制限されているが、1991年9月以前は出走頭数制限が日本中央競馬会競馬施行規程に盛り込まれていなかったため、最大出走頭数の制限は規定には盛り込まれていなかったものの、スタート位置やコース幅員、発馬機=ゲートの大きさなどによって、最大出走可能頭数が各競馬場で独自に設定されてはいた。スタート位置がホームストレッチの直線上にあり、また第1コーナーまでの距離がある東京競馬場の芝2400mの競走では、最大33頭立てで東京優駿(日本ダービー)が行われた回もあった。
- ^ ただし、直後の2番手に同じく人気薄のテイエムプリキュアが付け2番手と3番手が大きく離れる2頭逃げの展開。テイエムプリキュアも2着に残っている。#逃げの項も参照。
- ^ 代表例は、第23回ジャパンカップ勝ち馬のタップダンスシチー。
- ^ ただし、二の脚を使うのは苦戦時だけで、後続との差がある時はさほど使わないか全く使わず逃げ込む事が多い。
- ^ 例えば、タップダンスシチーが行った、「先頭で13-11-13-11・・・・・と1F毎のラップを刻み、変則ペースで後続馬のスタミナを消費させての逃げ切り」などが挙げられる。
- ^ 「僅差で追走してもらった方が好都合なタイプ」な為、このタイプにとって大逃げ展開はそれ程喜ばしくない。
- ^ 競馬用語では「好位差し」とも言われる。
- ^ 但し、この利点は芝コース競走のみで発生し、ダートコースでは原則的に起こらない。
- ^ 代表例として東京競馬場が挙げられる。
- ^ 「出遅れ気味~完全に出遅れ(または「大きく出遅れ」「○馬身の出遅れ」)」など言い方は幅広く有る。
- ^ ただし、例示しているゴールドシップの場合は、実際に第46回共同通信杯、第54・55回宝塚記念、第62回阪神大賞典で先行策を取って勝利している為、(あくまで彼の気性による気分によるもので)先行策が出来ない訳ではない。
- ^ 例えば、逃げ脚質の競走馬がゲートで出遅れ殿(しんがり)からの競馬を強いられるようなパターン。
- ^ 先行と差しとの比較では差しのほうが危険性が高く、第36回東京優駿でのミノル惜敗の理由として、最内枠を引き当ててしまった事を挙げる者もいる。
- ^ 実際、第49回東京優駿でフライングを犯したロングヒエンが、折角手に入れた内枠5番枠から大外30番枠からのスタートを余儀無くされ、無理逃げした結果15着惨敗を喫している。
- ^ 序盤の周回中に前の位置を確保したい場合、内枠の選手がやや有利になる程度である。
出典
- ^ “脚質”. 日本中央競馬会. 2022年8月4日閲覧。
- ^ a b c d e 池田2010、58頁。
- ^ a b c d e f g h 池田2010、59頁。
- ^ 池田2010、58-59頁。
- ^ a b c d e 池田2010、60頁。
- ^ 第153回・天皇賞(春)で逃げたキタサンブラック(“天皇賞・春、キタサンブラック差し返す サブちゃん熱唱”. 産経新聞フォト. (2016年5月1日) 2016年5月3日閲覧。)など。
- ^ a b 池田2010、61頁。
- ^ おでかけナビ 京都競馬場 京阪電気鉄道。
- ^ “なぜ「天皇賞・春」で1番人気タイトルホルダーに競走中止のアクデントが起きたのか…淀の“魔の下り坂”で繰り返された悲劇”. RONSPO. 2023年6月8日閲覧。
- ^ a b c d “ツール・ド・とちぎタイムス”. ツール・ド・とちぎ実行委員会事務局. 2022年8月4日閲覧。
- ^ a b c d e “第84回全日本自転車競技選手権大会ロードレース 第19回全日本選手権個人タイムトライアルロードレース大会出場主要選手一覧(VER.2)”. 経済産業省. 2022年8月4日閲覧。
- 1 脚質とは
- 2 脚質の概要
- 3 自転車ロードレース
脚質
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/06 20:42 UTC 版)
脚質に関しては、本馬には逃げ戦法が適しており、それ以外の戦法(先行、差し、追い込み)では力が出せないようだとの指摘があった。
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脚質(戦術)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 19:01 UTC 版)
「ウマ娘 プリティーダービー」の記事における「脚質(戦術)」の解説
ウマ娘がレースにおいて取る戦法。逃げ、先行、差し、追込の4種類があり、ウマ娘によって得意とする走りは異なる。ゲームでは継承によって得意な脚質を補正することが可能。
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脚質
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/27 03:19 UTC 版)
2007年のダウンアンダー・クラシックを制すなど、スプリント力は十分ある。それだけでなくトレインの位置取りなどアシスト能力が高く、ツール・ド・フランス2009のほとんどのステージでマーク・カヴェンディッシュの最終アシスト(いわゆる発射台役)として働く。同最終ステージではライン取りでガーミン・スリップストリームのラインを潰しスプリント体制に突入させず、カヴェンディッシュのステージ6勝目を完璧な形でアシストするとともに自身も2位に入るという大活躍を見せた。 2010年初頭はエプスタイン・バール・ウイルスに感染し棒に振るものの、4月のツアー・オブ・ターキーから復活。早速アンドレ・グライペルのリードアウト役を務め3勝をアシストという活躍を見せている。 2011年のツアー・オブ・ブリテン第5ステージでは異例のワン・ツー・ゴールをし、マーク・カベンディッシュではなくレンショーがステージでの優勝を決めた。2012年からはラボバンクへ移籍をしカベンディッシュとは分かれライバルの関係になる。(カベンディッシュはチームスカイへ移籍。) 2014年、エティックス・クイックステップに移籍し、マーク・カベンディッシュとのコンビが再結成となる。 2016年、チーム・ディメンションデータにマーク・カベンディッシュと共に移籍。
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脚質
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 08:12 UTC 版)
本人も「好きなのは逃げ」と常に語るほどの逃げが得意なライダー。きちんとローテーションすれば2012年ツール・第4ステージのように200km以上を実力で逃げ切るほどの巡航力を誇る。それに加え単独での逃げアタック能力(2009年世界戦、2010年ジロ)、ゴールスプリントでのスプリンター並みのパワー(2009年ツール)をみせるなど、短距離でも鋭い足を誇る平地型のパンチャーといえる。そのため過去にはチーム内でエーススプリンターであるウイリアム・ボネのアシストとして(新城が発射台役)動くオーダーが多いが、逃げが許される状況では積極的なレースを見せていた。さらに近年はヴォクレールの山岳アシストを努めるなど、山岳区間でも無難な走りを見せていることから、中規模のステージレースではエース格のポジションを任されている。
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脚質
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「エドヴァルド・ボアソン・ハーゲン」の記事における「脚質」の解説
2008-2009シーズンはマーク・カヴェンディッシュとアンドレ・グライペルの二枚看板がメイン戦術となる中、彼らが対応出来ないステージなどで狙いに行くジョーカー的存在として活躍。チームスカイ移籍後はグレゴリー・ヘンダーソンと並びスプリンター二枚看板として働いてはいるが、国内TT選手権3連覇を含め中級山脈ステージであるジロ第6ステージの集団スプリントトップ(2位)、第7ステージの制覇など、ある程度の山も越えられ、独走も強いというトル・フースホフトやアレハンドロ・バルベルデのような平地型のパンチャーである。
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脚質
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「イェンス・フォイクト」の記事における「脚質」の解説
強いスプリント力は持たないが、ルーラーとしての能力は非常に高く、チームメイトのファビアン・カンチェラーラと並んでチームCSC-サクソバンク、チーム・サクソバンク、レオパード・トレックのダイナモとなっていた。実際、この二人が交代しつつ平地で集団を引き始めると集団の速度は一気に上がるため、チームの戦術オプションの一つとして逃げ集団の追撃や後続の分断などに多用されている。 また山岳もある程度こなせる能力があり、特にジロ・デ・イタリアでは山岳ステージで大逃げを決めたり、山岳タイムトライアルで上位に食い込むなどの見せ場を作ることが多い。2008年ツール・ド・フランスのピレネー越えでは1級山岳の前半部分を凄まじい速さで引き続け、一流クライマーであるダミアーノ・クネゴやアレハンドロ・バルベルデを集団から振り落としたことさえある。 大ベテランの域に達した頃は、レース全体を見据えた駆け引きも非常にうまく、総合優勝を狙う選手のアシストとして極めて有能な選手と言える。 またドイツ・ツアーやクリテリウム・インターナショナルのようにエースとして出場するレースでは、オールラウンダーとしての総合力を遺憾なく発揮し、何度か総合優勝を遂げている。
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脚質
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後方一気の戦法は「電撃の差し脚」とも称され、ヒカルイマイの代名詞であった。こうした戦法を取った背景には、馬群に入ると走る気を失うという生来の気性があった。4着に敗れたスプリングステークスは、皐月賞に備えて先行策を試したが、結局は馬が反抗した結果であり、これを受けて田島は改めて、本番で追い込みに賭けることを決めたという。
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脚質
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 16:00 UTC 版)
ルーラー型の選手で、現在は主に平地アシストのポジションだが、ツール・ド・フランス2009第19ステージのスプリントに絡んでの7位や、山岳は専門ではないがルート・ド・スュドでの山岳賞獲得などもある。ルーラーでありながら山岳に割と強いのは、他のルーラー型選手に比べ15kg近く軽い体重がアドバンテージになっているためである。 グリーンエッジに移籍してからは特にスプリント系のトレーニングを行い、トレーニングでは最強スプリンターのロビー・マキュアンにスプリントで勝利した。 別府が『情熱大陸』で特集された際、練習を見たランス・アームストロングから、「山岳とスプリントを両立できる優秀な選手」と高く評価されている。
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