別府史之
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/26 05:45 UTC 版)
別府 史之(べっぷ ふみゆき、1983年4月10日 - )は、神奈川県茅ヶ崎市出身の元自転車プロロードレース選手。長兄に自転車ジャーナリストの別府始、次兄に元ロードレース選手であり、現愛三工業レーシングチーム監督の別府匠。
- ^ a b 『ciclissimo 2018 No.56 プロチームガイド選手名鑑』八重洲出版、2018年。
- ^ “別府選手が出身の茅ヶ崎市にがい旋”. カナコロ(神奈川新聞社) (2009年11月20日). 2018年5月30日閲覧。
- ^ Life is Live!、別府 史之 Fumy BEPPU Official Site: Biography - ウェイバックマシン(2009年2月3日アーカイブ分)
- ^ “PROFILE、Life is Live!、別府史之 Fumy BEPPU Official Site”. BLUEFORT. 2018年5月30日閲覧。
- ^ ルート・ド・スッド 山岳賞獲得 - 別府史之 Fumy BEPPU Official Site(2009年6月22日)
- ^ レース結果[リンク切れ] (PDF)
- ^ 別府史之、ついにレディオシャックへ! スキル・シマノが契約解除を許可 - CYCLINGTIME.com(2010年2月4日)
- ^ 別府、2010年の所属チームは未定か - CYCLINGTIME.com(2010年1月15日)
- ^ チーム・レディオシャックに正式加入決定 - 別府史之 Fumy BEPPU Official Site(2010年2月4日)
- ^ ロンドン五輪・ロンドンパラリンピック代表候補選手記者会見 - 日本自転車競技連盟(2012年5月1日)
- ^ “Japanese champion joins GreenEDGE”. 2011年12月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年10月6日閲覧。
- ^ 通常、下一桁が1番のゼッケンはチームのエースがつけるが2011年のワウテル・ウェイラントの事故を受け、ゼッケン108番が「永久欠番」扱いとなり、所属チームが偶然100番台となったためにエースのマシュー・ゴスは100番を使用(通常下一桁0は使わない)し、アルファベット順最上位の別府が101番となった
- ^ 全日本自転車競技選手権大会#ロードレースは例年通り6月に行われたため、ジロの行われた5月の時点では2011年のチャンピオンである別府がタイムトライアルでは日本チャンピオン資格を有していた。第1ステージの個人タイムトライアルでは直前にスポンサーが変わったためジャージ製作が間に合わずノーマルジャージだったが、第4ステージのチームタイムトライアルでは新デザインの日本チャンピオンジャージで出走した。
- ^ 10着でゴールしたがロベルト・フェラーリが進路妨害で降着となったため繰り上がった。
- ^ 今までありがとう。そしてこれからも fumy.jp 別府史之 Official Site 2021.11.06
- ^ 別府史之 オフィシャルサイト News
- ^ 日本のロードレース第一人者・別府史之の引退セレモニー「素晴らしい自転車人生でした」 中日スポーツ
- ^ ファンの皆さんへメッセージ | 別府史之のetape par etape Jスポーツ コラム&ニュース
- ^ [ https://www.youtube.com/watch?v=7DaVhlBH4eM 2022 JAPAN CUP CYCLE ROAD RACE / Day 2. JAPAN CUP CRITERIUM]Japancup 公式youtubeチャンネル
- 別府史之のページへのリンク