ディスカバリーチャンネル時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 16:00 UTC 版)
「別府史之」の記事における「ディスカバリーチャンネル時代」の解説
パリ~ルーベ・エスポワールやジロ・デッラ・ヴァッレ・ダ・アオスタでの活躍により、2005年にはランス・アームストロングも所属したチームディスカバリーチャンネルへと2年契約で移籍した。その後、さらに契約を1年更新し2007年も同チームに所属。 2006年の世界選手権では見せ場を作ることはできなかったが124位で完走を果たした(野寺秀徳・福島晋一は共にリタイア)ほか、チューリッヒ選手権で序盤に逃げを決め、2007年のツール・ド・ロマンディでは第3ステージで2位となり日本人として初めてUCIプロツアーのポイントを獲得した。
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