ツール・ド・フランス出場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 00:47 UTC 版)
「今中大介」の記事における「ツール・ド・フランス出場」の解説
この年は念願のツール・ド・フランスにも出走。日欧のメディアや主催者からは「日本人初のツール・ド・フランス出場」として扱われ、今中も「イマナキャ」と呼ばれて大きな注目を浴びた。レースではエースのリュック・ルブランのアシストとして働き、第1ステージや第4ステージではトラブルで遅れたルブランを集団まで引き戻す役割の一角を担った他、アタック潰しなどでチームに貢献した。 だが第2ステージから延々と続いた悪天候の為、今中は第3ステージ終了後に風邪を引いてしまい、以降は激しい咳や貧血に苦しみながらのレースとなった。それでもアルプスの山岳ステージはこなしたものの、ピレネーに入って膝裏の故障が限界に達し、チュールにゴールする第14ステージでタイムオーバーによりチーム3人目のリタイアとなった。このステージは序盤に2級山岳があり、その後は3つの4級山岳がある他はほぼ平坦で、最後が3級の上りゴールとなっていた。今中は2級山岳の頂上を越えた後の平坦区間で集団から千切れたが、集団はその後も終始アタックがかかる状態であり、結局ステージ優勝のジャモリディネ・アブドヤパロフは平均時速45キロメートルでゴールした。最終的に、今中はステージ後半の100kmほどを単独走行する羽目になり、タイムオーバーとなった。ちなみにこのときのタイムオーバー基準は先頭から25分弱であった。この日は今中を含め3人がタイムオーバーとなっている。41分遅れの最下位でゴール地点に到着した今中は、観客に「アレ! イマナキャ!」と励まされながらゴールし、涙を流した。 結果、ツール・ド・フランスのリザルトは順位無し、今中も途中でリタイヤとなった。 4年目は今中の現役最後のシーズンとなり、ジャパンカップ4位をもって引退した。
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ツール・ド・フランス出場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 16:00 UTC 版)
「別府史之」の記事における「ツール・ド・フランス出場」の解説
2009年のツール・ド・フランスでは第2ステージでスキル・シマノのトレインを終盤に引く役割を果たしてタイム差なしの35位、第3ステージでは8位、終盤の第19ステージではアシストがいないにもかかわらずゴールスプリントに加わり7位に入る。また最終の第21ステージではシャンゼリゼ大通りでアタックを決めて逃げ集団を生み出し、そのまま終盤まで積極的に先頭を引くという見せ場を作り、ステージ敢闘賞を獲得した。 最終的に別府は総合112位、総合優勝したアルベルト・コンタドールからは2時間55分21秒遅れの88時間43分56秒で全ステージを完走し、日本人初のツール・ド・フランス完走者の一人となった。 9月に行われた世界選手権では57位となり、日本人3人の中で唯一の完走を果たした。
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