ツール・ド・ロマンディ優勝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/30 06:51 UTC 版)
「アンドレアス・クレーデン」の記事における「ツール・ド・ロマンディ優勝」の解説
2008年のシーズン前には国際自転車競技連合 (UCI) とアモリ・スポル・オルガニザシオン (ASO) の対立が激化し、ツール・ド・フランスなどのレースの主催者であるASOはこれらのレースにアスタナを招待しないと表明。クレーデン自身も春先にケガをして以後なかなか調子が上がらず苦しんだが、エースとして臨んだツール・ド・ロマンディで、第3ステージの個人タイムトライアルを制して復活。最終的に2位のロマン・クロイツィガーに35秒差をつけ総合優勝した。 ジロ・デ・イタリアでは開催直前になって急遽アスタナの出場が認められ、コンタドールとライプハイマーとともにトリプル・エース体制ともいえる強力布陣で臨んだ。第10ステージの個人タイムトライアルで好走して総合上位につけたが、山岳ステージの第15ステージでは大きく遅れてしまい、以後は特に第19ステージでコンタドールのアシストとしての走りに徹し、彼の総合優勝に貢献した。自身は第20ステージで体調不良もあり、リタイアとなった。その後行われたツール・ド・スイスでは、クロイツィガーに次いで総合2位に入った。
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