ツール・ド・フランス総合優勝へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 04:51 UTC 版)
「アンディ・シュレク」の記事における「ツール・ド・フランス総合優勝へ」の解説
ツール・ド・フランスでは、アルプス山脈超えラウンドとなる第8ステージで区間優勝し、マイヨ・ジョーヌを奪取。その後はアルベルト・コンタドールとの虚々実々の駆け引きが続く展開となったが、ピレネー山脈超えラウンドに入った第14ステージまで、コンタドールに31秒差をつけ、総合首位を守っていた。しかし第15ステージ、バレ峠付近の残り約24km地点でチェーントラブルに見舞われ失速。この区間で39秒差をつけられ、総合8秒差でコンタドールにマイヨ・ジョーヌを奪われた。しかし、ツールマレー峠がゴールとなった第17ステージでは、同タイムゴールながらもコンタドールを制し、今大会2勝目を挙げた。もっとも、第20ステージの個人タイムトライアル終了後、39秒差に広げられ、前年に続いて総合2位となったが、今大会が最後となる新人賞を獲得。ツールの同賞としてはヤン・ウルリッヒ(1996年~1998年)以来となる、3年連続の受賞となった。 なお、2012年2月6日、アルベルト・コンタドールがスポーツ仲裁裁判所 (CAS) より、クレンブテロール陽性を認定されて2年間の出場停止処分が下され、2010年のツール・ド・フランス以降の記録が全て抹消されることを受け、アンディが繰り上がってツール・ド・フランスの総合優勝者に認定される見通しとなった。2012年3月27日、ツール・ド・フランスの運営責任者、クリスティアン・プリュドムがベルギーの新聞、ル・ソワール紙にて、当人の総合優勝を祝う公式式典を行う用意があるとの発言をおこなったことから、この時点でツール・ド・フランス総合優勝者として認定されることになった。 2012年5月29日、ツール・ド・フランス主催者ASO(アモリ・スポル・オルガニザシオン)は、アンディに対し、繰り上げの総合優勝者として当年ツールのマイヨジョーヌを授与する公式式典を行なった。この式典は出身地のモンドルフ・レ・バン(ルクセンブルク)にて行われ、ツール・ド・フランス運営責任者のクリスティアン・プリュドム、渉外責任者のベルナール・イノーらが出席し、正式にアンディに当年のマイヨジョーヌが授与された。
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