キム・アンダーセンとは? わかりやすく解説

キム・アンダーセン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/01 04:47 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
キム・アンダーセン
Kim Andersen
個人情報
本名 Kim Andersen
キム・アンダーセン
生年月日 (1958-02-10) 1958年2月10日(61歳)
国籍  デンマーク
チーム情報
所属 チーム・レオパード
分野 ロードレース
役割 ゼネラル・マネジャー
プロ所属チーム
1980–1984
1985–1986
1987–1987
1988–1992
コープ
ラ・ヴィ・クレール
東芝
Z
監督所属チーム
1998–1999
2000–2003
2004–2010
2011
チーム・チッキー・ワールド
チーム・ファクタ
チームCSC
チーム・レオパード
グランツール最高成績
主要レース勝利
フレッシュ・ワロンヌ 1984
ツール・ド・フランス 通算2勝
ブエルタ・ア・エスパーニャ 通算1勝
最終更新日
2011年1月7日

キム・アンダーセン(Kim Andersen, 1958年2月10日 - )は、デンマーク、マリング出身の元自転車競技ロードレース)選手、自転車競技指導者。

経歴

1980年にプロロード選手となり、1981年ブエルタ・ア・エスパーニャで区間1勝、1983年ツール・ド・フランスでは第12ステージを制し、また6日間マイヨ・ジョーヌを堅持。さらにデンマーク一周の前身である、デンマーク・ルント・クリテリウム・ウィークの初代優勝者となった。1984年フレッシュ・ワロンヌを制覇。そして1985年ベルナール・イノーグレッグ・レモン擁するラ・ヴィ・クレールに移籍。同年のツール・ド・フランスでも4日間マイヨ・ジョーヌを堅持した。

しかしその後、度重なるドーピング陽性が発覚。1986年、フレッシュ・ワロンヌ終了後に発覚したことが原因となり、ラ・ヴィ・クレールを追われる羽目になった。翌1987年、ラ・ヴィ・クレールの後身チーム名である東芝に復帰し、ツール・ド・フランス出場を果たしたものの、同年のツール・デュ・リムザン終了後にまたしても陽性が発覚したため、翌1988年は、前半シーズンを棒に振った。同年6月より、後にグレッグ・レモンが加入することになるZに加入したが、ツール・ド・フランスへの出場機会は得られなかった。1992年アムステルゴールドレース終了後に、アミネプチンの陽性反応が発覚したことから、同年6月15日付でZから契約解除された影響を受け、同年限りで現役を引退した。

1998年よりレースディレクターを歴任。2004年から2010年まで、ビャルヌ・リースがゼネラル・マネジャー(GM)を務めるチームCSC(現 サクソバンク - サンガード)で同職を務めた。

2010年アルベルト・コンタドールのサクソバンク - サンガードへの移籍決定を受け、フランクアンディのシュレク兄弟を中心とする新チームを立ち上げるべく、自らがGMに就任して、ルクセンブルク・チーム・プロジェクト(後のチーム・レオパード)を結成。そして、シュレク兄弟以外にも多くの著名選手が同チームへの移籍を果たし、2011年シーズンにおける手腕が期待される。

主な戦績

1981年
  • ブエルタ・ア・エスパーニャ 区間1勝(第10)
1983年
1984年
1985年
1986年
1987年
1990年

出典

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「キム・アンダーセン」の関連用語

キム・アンダーセンのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



キム・アンダーセンのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのキム・アンダーセン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS