畑中勇介
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/30 02:48 UTC 版)
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| 基本情報 | ||||
| 愛称 | オレ八王子 | |||
| 生年月日 | 1985年6月21日(40歳) | |||
| 国籍 |  日本 | |||
| 出身地 | 東京都八王子市 | |||
| 身長 | 179cm | |||
| 体重 | 72kg | |||
| 選手情報 | ||||
| 所属 | キナンサイクリングチーム | |||
| 分野 | ロードレース | |||
| 特徴 | パンチャー | |||
| アマチュア経歴 | ||||
| 昭和第一学園高等学校 | ||||
| プロ経歴 | ||||
| 2008 | スキルシマノ | |||
| 2009-2014 | シマノレーシング | |||
| 2015-2020 | TeamUKYO | |||
| 2021-2024 | キナンサイクリングチーム | |||
| 主要レース勝利 | ||||
|  日本選手権ロードレース (2017) ブリクシア・ツアー第1ステージb(チームTT)(2008) | ||||
| 最終更新日 2025年5月27日 | ||||
畑中 勇介(はたなか ゆうすけ、1985年6月21日 - )は、東京都出身の元自転車プロロードレース選手。現在はキナンレーシングチームのコーチを務めている[1]。
八王子周辺で育ち、早くから活躍していたことから「八王子のスーパースター」、「オレ八王子」[2]などの愛称がある。自転車以外ではヨーヨーの名人という一面を持っている[3]。妻はサイクルライフナビゲーターの絹代[4]。
経歴
中学生時に本格的に自転車ロードレースに興味を持ち始める。この頃から当時第一線で活躍していた栗村修と出会い、「テニスは左右非対称のスポーツだから辞めろ」と言われテニス部を辞めるなど、強い影響を受けている[2]。
昭和第一学園高等学校を経て、チームブリヂストン・アンカーのジュニアチームに加入。いきなりフランスで活動を始める。当初は経験不足から苦戦を強いられたが徐々に実力を開花させる。
- U-23日本選手権個人タイムトライアルで勝利
- U-23世界選手権でも完走を果たすなど一定の成果を出す。
- 1月のジャラジャウ・マレーシア(UCI2.2)第7ステージでいきなり勝利。これはチームとしても2008年初勝利だった。*さらに7月のブリクシア・ツアー(UCI1.1)第1ステージbでチームタイムトライアルながら勝利。前のステージでチーム最先着だったことからリーダージャージも1日だけながら獲得した。
- ジャパンカップ3位
- 熊本国際ロード 2位
- ツール・ド・おきなわ 総合8位
- シマノ鈴鹿ロードレース 優勝
- ジャパンカップ 5位
- ツール・ド・北海道 総合9位
- ツール・ド・おきなわ 総合6位
- ツール・ド・台湾 総合9位
- ツアー・オブ・タイ 総合9位
- ジャパンカップサイクルロードレース 9位
- ツール・ド・おきなわ 2位
- TeamUKYOに加入
 日本選手権ロードレース 優勝 日本選手権ロードレース 優勝
- 6年間所属したTeamUKYOを退団
- キナンサイクリングチームに加入
- 10月18日の宇都宮ジャパンカップチームプレゼンテーションにおいて、今シーズンでの現役引退を口頭で発表[5]。
脚注
- ^ キナンレーシング公式HP
- ^ a b 特別企画!「畑中選手インタビュー」 by 栗村(2012年7月11日時点のアーカイブ) - Shimano Racing メンバー・リレーブログ
- ^ ヨーヨーお兄ちゃん(2012年7月11日時点のアーカイブ) - 島田真琴公式ブログ
- ^ これまでも、これからも。 - それなりに、日々更新
- ^ ここで畑中選手の引退が、ご本人の口から発表されました。 UTSUNOMIYA JAPANCUP Official(2024年10月18日)
外部リンク
固有名詞の分類
- 畑中勇介のページへのリンク

 
                             
                    





