エアシャカールとは? わかりやすく解説

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エアシャカール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/22 17:28 UTC 版)

エアシャカール
2000年11月26日 東京競馬場
欧字表記 Air Shakur
品種 サラブレッド
性別
毛色 黒鹿毛
生誕 1997年2月26日
死没 2003年3月13日(6歳没)
登録日 1999年9月9日
抹消日 2002年12月27日
サンデーサイレンス
アイドリームドアドリーム
母の父 Well Decorated
生国 日本北海道千歳市
生産者 社台ファーム
馬主 (株)ラッキーフィールド
調教師 森秀行栗東
競走成績
タイトル JRA賞最優秀4歳牡馬(2000年)
生涯成績 20戦4勝
中央競馬)19戦4勝
イギリス)1戦0勝
獲得賞金 5億4506万2000
IC 113I-115L-114E(2000年)[1]
114I(2002年)[2]
勝ち鞍
GI 皐月賞 2000年
GI 菊花賞 2000年
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エアシャカール (英語: Air Shakur) とは日本競走馬種牡馬である。おもな勝鞍は、皐月賞菊花賞2000年中央競馬クラシック二冠馬である。2000年JRA賞最優秀4歳牡馬(部門名は当時)。また、東京優駿(日本ダービー)をハナ差わずか7センチメートル差で逸していることから「三冠馬」と呼ばれている。半姉に優駿牝馬(オークス)2着のエアデジャヴー秋華賞優勝馬エアメサイアは姪にあたる。馬名の由来は冠名の「エア」とアメリカ合衆国ヒップホップMC、俳優である2パックの本名から。

戦績

2歳 - 3歳

エアシャカールのデビューは1999年10月31日東京競馬場新馬戦。新馬戦は5着に敗れるが、2戦目の未勝利戦で初勝利を挙げた。その後、ホープフルステークス[3]を勝ち、2歳時は4戦2勝に終わったが、クラシック候補の1頭に名乗りを上げた。

年が明けて2000年、3歳になったエアシャカールは弥生賞2着を経て、皐月賞に出走。ダイタクリーヴァにクビ差で競り勝ち、GIを初制覇した。皐月賞後には、キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスへ出走するプランが発表された[4]

東京優駿(日本ダービー)ではアグネスフライトの前にわずか7cmの差で2着に惜敗。ダービー後、アスコット競馬場で行われるキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスに予定通り出走したが、モンジューの5着に敗れた。

秋は神戸新聞杯から始動したが、内に突っ込み直線で追うことも出来ない状況で3着に敗れた。騎乗していた武豊が「気性面で成長が見られない」とコメントするほどの完敗だった。しかし、本番の菊花賞では内によれる癖を出さないようにリングハミを装着し、レース中でも内ラチ沿いを走った結果、トーホウシデンをクビ差で退けて優勝。見事に皐月賞と菊花賞の二冠馬となった[4]

菊花賞後はジャパンカップに出走。この年G13勝を含んで6連勝中だったテイエムオペラオーとの対決が注目されたが14着と大敗した。また、このレースでは同世代のダービー馬アグネスフライト(13着)、NHKマイルC馬イーグルカフェ(15着)、オークス馬シルクプリマドンナ(16着・最下位)が揃って惨敗した。

4歳以降

2001年、武豊が海外へ騎乗拠点を移したため、エアシャカールの主戦は蛯名正義が務めることになった。産経大阪杯ではトーホウドリームの2着と上々の滑り出しとなるが、次走の天皇賞(春)は8着、宝塚記念も5着に敗れた。秋になると、輸送性の肺炎を患い、1度も出走できずに終わった。

5歳時、エアシャカールは産経大阪杯で復帰し2着と復調した。続く金鯱賞では武豊とのコンビが復活し1番人気となるが、ツルマルボーイの2着に敗れた。その後、宝塚記念ではダンツフレームと人気を分け合うが4着に敗れた。秋は天皇賞(秋)こそ4着となって掲示板に載ったが、ジャパンカップは12着と大敗。有馬記念も大きな活躍はなく9着に敗れ、この有馬記念を最後に引退した。

競走成績

以下の内容はnetkeiba.comの情報[5]に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離(馬場)


オッズ
(人気)
着順 タイム
(上り3F)
着差 騎手 斤量
[kg]
1着馬(2着馬) 馬体重
[kg]
1999.10.31 東京 3歳新馬 芝2000m(良) 13 2 2 003.40(2人) 05着 R2:04.3(35.3) -0.6 0武豊 53 ユーワシーザー 498
0000.11.21 京都 3歳未勝利 芝1600m(良) 14 2 2 003.20(1人) 01着 R1:36.4(36.5) -0.1 0武豊 54 (エイシンモモタロー) 502
0000.12.11 阪神 3歳500万下 芝1600m(良) 11 4 4 002.90(1人) 02着 R1:36.7(35.6) -0.1 0M.デムーロ 54 パープルエビス 492
0000.12.11 中山 ホープフルS OP 芝2000m(良) 13 3 4 002.70(1人) 01着 R2:05.9(36.1) -0.0 0武豊 54 (マイネルファラオ) 496
2000.03.03 中山 弥生賞 GII 芝2000m(良) 16 8 16 007.30(4人) 02着 R2:02.5(35.3) -0.2 0武豊 55 フサイチゼノン 500
0000.04.16 中山 皐月賞 GI 芝2000m(稍) 18 8 16 003.40(2人) 01着 R2:01.8(35.0) -0.0 0武豊 57 ダイタクリーヴァ 492
0000.05.28 東京 東京優駿 GI 芝2400m(良) 18 1 2 002.00(1人) 02着 R2:26.2(35.6) -0.0 0武豊 57 アグネスフライト 494
0000.07.29 アスコット KGVI&QEDS GI 芝2400m(良) 7 7 7 002.00(3人) 05着 R2.31.3 -1.3 0武豊 55 Montjeu 計不
0000.09.24 阪神 神戸新聞杯 GII 芝2000m(良) 12 4 4 001.70(1人) 03着 R2:02.0(34.9) -0.4 0武豊 56 フサイチソニック 500
0000.10.22 京都 菊花賞 GI 芝3000m(良) 18 7 15 002.80(2人) 01着 R3:04.7(35.7) -0.0 0武豊 57 トーホウシデン 494
0000.11.26 東京 ジャパンC GI 芝2400m(良) 16 5 9 009.50(3人) 14着 R2:28.2(37.2) -2.1 0武豊 55 テイエムオペラオー 480
2001.04.01 阪神 産経大阪杯 GII 芝2000m(良) 14 3 3 012.20(4人) 02着 R1:58.5(35.2) -0.1 0蛯名正義 59 トーホウドリーム 506
0000.04.29 京都 天皇賞(春) GI 芝3200m(良) 12 7 10 007.20(4人) 08着 R3:17.9(37.0) -1.7 0蛯名正義 58 テイエムオペラオー 508
0000.06.24 阪神 宝塚記念 GI 芝2200m(良) 12 6 8 013.40(3人) 05着 R2:12.3(35.3) -0.6 0蛯名正義 58 メイショウドトウ 500
2002.03.31 阪神 産経大阪杯 GII 芝2000m(良) 14 1 1 004.40(3人) 02着 R1:59.5(35.2) -0.4 0M.デムーロ 59 サンライズペガサス 516
0000.05.25 中京 金鯱賞 GII 芝2000m(良) 18 8 18 001.80(1人) 02着 R1:58.5(35.5) -0.2 0武豊 59 ツルマルボーイ 516
0000.06.23 阪神 宝塚記念 GI 芝2200m(良) 12 4 4 002.90(2人) 04着 R2:13.2(35.2) -0.3 0K.デザーモ 58 ダンツフレーム 514
0000.10.27 中山 天皇賞(秋) GI 芝2000m(良) 18 7 14 008.60(6人) 04着 R1:58.8(34.2) -0.3 0武豊 58 シンボリクリスエス 504
0000.11.24 中山 ジャパンC GI 芝2400m(良) 16 8 16 019.70(7人) 12着 R2:13.4(36.2) -1.2 0田中勝春 57 ファルブラヴ 508
0000.12.22 中山 有馬記念 GI 芝2500m(稍) 14 3 4 021.10(7人) 09着 R2:34.1(36.0) -1.5 0横山典弘 57 シンボリクリスエス 510


引退後

競走馬を引退した後は種牡馬となりブリーダーズ・スタリオン・ステーションに繋養されていたが、引退から3か月後の2003年3月13日、放牧中の事故により左後脚を骨折し、安楽死の処置が取られた。

残された産駒は4頭(4頭共に牝馬)、その内3頭が中央競馬入りした。2006年10月24日、その残された4頭のうちの1頭、エアーミラクルがホッカイドウ競馬で勝ち鞍を挙げ、エアシャカール産駒の初勝利となり、2007年7月28日函館競馬場で行われた未勝利戦をエアファーギーが制し産駒がJRA初勝利を挙げた。しかし中央入りした3頭はエアファーギー以外は勝利を挙げられず、4頭とも大成しないまま競走馬登録を抹消された。産駒のうちエアファーギーとマジブランシェは繁殖牝馬となったが、その産駒は牡馬に偏ったこともあり、既に血統は断絶している。

特徴・エピソード

  • 武豊は新馬戦前の調教で騎乗した際に「これは将来絶対に重賞を勝つぐらい走る馬になるだろうと思った」と語り[6]、その雰囲気について「スペシャルウィークをこぢんまりさせた感じ」と語っていた[7]。一方で非常に気性が激しく、武はこのことについて「サンデーサイレンス産駒の悪いところが全部集まったような馬だったんです。とにかく真っ直ぐ走ってくれないし、乗りにくいことこの上ない」と評し[8]、「頭の中を見てみたい」と発言したこともあった。特に物見をする影響で、厩舎スタッフ全員で世話をすることになった。当時の厩舎制度は担当馬2頭が常識で森秀行調教師曰く「担当制をなくした」[9]と言う。今では主流となっているが、担当制廃止は当時は珍しいことだった。その甲斐があって放馬などの事故は一回もなかったという。
  • デビュー当時はエアシャガールと名前を間違えられることが多かった(当初はエアスクデットという馬名で登録されたが、後にエアシャカールに変更)。

血統表

エアシャカール血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ヘイロー系
[§ 2]

*サンデーサイレンス
Sunday Silence
1986 青鹿毛
アメリカ
父の父
Halo
1969 黒鹿毛
アメリカ
Hail to Reason
1958
Turn-to
Nothirdchance
Cosmah
1953
Cosmic Bomb
Almahmoud
父の母
Wishing Well
1975 鹿毛
アメリカ
Understanding
1963
Promised Land
Pretty Ways
Mountain Flower
1964
Montparnasse
Edelweiss

*アイドリームドアドリーム
I Dreamed a Dream
1987 鹿毛
アメリカ
Well Decorated
1978 黒鹿毛
アメリカ
Raja Baba
1968
Bold Ruler
Missy Baba
Paris Breeze
1971
Majestic Prince
Tobor Jet
母の母
Hidden Trail
1975 鹿毛
アメリカ
Gleaming
1968
Herbager
A Gleam
Tobacco Trail
1969
Ribot
On the Trail
母系(F-No.) Golden Trail系(FN:4-r) [§ 3]
5代内の近親交配 5代内アウトブリード [§ 4]
出典
  1. ^ [10]
  2. ^ [11]
  3. ^ [12]
  4. ^ [10]


脚注

  1. ^ 優駿』、日本中央競馬会、2001年2月、32頁。 
  2. ^ 優駿』、日本中央競馬会、2003年2月、77頁。 
  3. ^ 現在のホープフルステークスとは異なる。
  4. ^ a b 『優駿』(日本中央競馬会)2008年10月号
  5. ^ エアシャカール”. netkeiba.com. 株式会社ネットドリーマーズ. 2024年7月14日閲覧。
  6. ^ 島田明宏『武豊インタビュー集 戴冠』廣済堂出版、2002年、69頁。ISBN 4331509311 
  7. ^ 島田明宏『武豊インタビュー集 戴冠』廣済堂出版、2002年、70頁。ISBN 4331509311 
  8. ^ 片山良三「[スペシャル・クロストーク]武豊×吉田照哉「サンデーサイレンスを語る」」『Sports Graphic Number』602号、文藝春秋、2004年、p.30
  9. ^ グリーンチャンネル「競馬ブロス」#92
  10. ^ a b "血統情報:5代血統表|エアシャカール". JBISサーチ. 日本軽種馬協会. 2021年3月25日閲覧
  11. ^ "エアシャカールの血統表|競走馬データ". netkeiba.com. ネットドリーマーズ. 2021年3月25日閲覧
  12. ^ 平出貴昭『日本の牝系』競馬通信社、2001年、256頁。ISBN 4434013882 

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