熊沢重文
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熊沢 重文(くまざわ しげふみ、1968年1月25日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) 栗東トレーニングセンターに所属していた元騎手。
- ^ “平成28年度 騎手免許試験合格者” (PDF). 日本中央競馬会 (2016年2月11日). 2016年4月6日閲覧。
- ^ NARデータベース
- ^ 刈谷の星 刈谷市
- ^ もともと岡潤一郎が騎乗していたが、GI競走に騎乗するための勝利数(31勝)に達していなかったため
- ^ 同年秋の菊花賞で19歳8ヶ月の武豊がスーパークリークで優勝し記録が更新された。ただし、優駿牝馬での最年少記録はその後も熊沢が保持している。
- ^ 1938年保田隆芳、1943年前田長吉に次ぐ3人目
- ^ 騎手物語
- ^ 東京競馬場・中山競馬場ともに両GIレースの施行日が初騎乗。中山競馬場に至っては当日、道に迷ってしまったほど土地勘がなかった。
- ^ 騎手という稼業
- ^ “熊沢重文騎手がJRA通算1000勝達成!”. サンケイスポーツ. 2016年5月29日閲覧。
- ^ 別冊宝島騎手名鑑'98
- ^ 横山富雄・田中剛に次ぐ3人目
- ^ “JRA史上初、熊沢重文騎手が平地&障害競走200勝”. 2016年5月29日閲覧。
- ^ “JRA通算1000勝達成の熊沢が特別賞「乗れる限り頑張ります」”. www.sponichi.co.jp. 2019年9月8日閲覧。
- ^ 後に柴田大知が平地・障害両GI制覇を達成。障害競走でのグレード制導入前で、中山大障害と、平地GI(1984年のグレード制導入以降)の両方を制した騎手に根本康広と小島貞博がいる。根本は中山大障害(春)(現:中山グランドジャンプ、1979年)と日本ダービー(1987年)を制覇、小島は1981年の中山大障害春秋連覇と日本ダービー(1992年と1995年)を制覇しており、熊沢が目標としていた日本ダービーと中山大障害の両方を制している。
- ^ “熊沢 障害最多勝、“大記録”樹立へ意欲 | 競馬ニュース”. netkeiba.com. 2021年5月14日閲覧。
- ^ “数えきれない骨折を経て…20歳のオークス制覇から53歳でも活躍中! 熊沢重文「体が続く限り乗り続けます」(片山良三)”. Number Web - ナンバー. 2021年5月18日閲覧。
- ^ “【小倉サマーJ結果】アサクサゲンキが史上14頭目の平地障害両重賞V 熊沢Jは障害最多勝タイの254勝目! | 競馬ニュース”. netkeiba.com. 2021年8月28日閲覧。
- ^ 【JRA】熊沢重文騎手が落馬負傷、頚部骨折・肋骨々折の疑い - netkeiba.com 2022年2月26日
- ^ 熊沢重文騎手は復帰戦で9着「いろいろありましたけど、この場にいられるというのが幸せです」 - サンスポZBAT! 2023年2月19日
- ^ 熊沢重文騎手、1年4カ月ぶりカムバックV 落馬負傷、リハビリ乗り越えた鉄人55歳/阪神4R - 日刊スポーツ 2023年3月6日
- ^ 開催競馬場・今日の出来事、明日の取消・変更等(6月3日(土曜)) - 日本中央競馬会 2023年6月3日
- ^ “熊沢 重文騎手が引退”. 日本中央競馬会 (2023年10月30日). 2023年10月30日閲覧。
- ^ 熊沢重文騎手「トレセンの中の仕事には残りません」 傷めた頸椎が完治せず引退を決意 【競馬】 - 中日スポーツ 2023年10月30日
- ^ 熊沢 重文騎手の引退式等の実施 - 日本中央競馬会(JRAニュース)2023年10月30日
- ^ 騎手引退の熊沢が京都JSで誘導馬騎乗 今後について「今はまだ迷子に」 - デイリースポーツ online 2023年11月11日
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