第二次移住とは? わかりやすく解説

第二次移住(1822年-1854年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/26 05:38 UTC 版)

キングストンとアーサーズ・ヴェールの歴史地区」の記事における「第二次移住(1822年-1854年)」の解説

1822年ラックラン・マッコーリー総督レポートイギリス本国で、ノーフォーク島再度注目を浴びることとなったその結果1824年ノーフォーク島植民地再開実施された。バサースト伯爵は、ブリスベーン総督に対してノーフォーク島流刑植民地で最も厳罰な場所とする方針であった1825年再上陸した人間構成は、軍隊メンバーを除くと6人の女性と6人の子供、57人の囚人から構成されており、囚人多くは、技師であった。第二次移住を組織したロバート・タートンは、キングストンにかつての植民地廃墟見出したが、2ヶ月の間、吹きさらしのもとで生活した1825年12月までに、倉庫とFoveauxが建設した総督官邸再建され、さらに、かつての道路再建された。 1826年には、ノーフォーク島居住するすべての女性自由人であるという政策取られるようになった1833年までには、ノーフォーク島居住する囚人600人を数えた。この囚人たちが、ノーフォーク島に現在も残る重要な建築物である囚人バラック(Prisoners’ Barrack)、旧軍バラック(the Old Military Barrack)、ランバー・ヤード(Lumber Yard)などを建設していった。ノーフォーク島におけるインフラ建設農業従事した囚人たち仕事夜明けから始まった模範囚は、農地耕作する権利与えられた。 1839年に、トーマス・ブンベリー(Thomas Bunbury)がノーフォーク島総督就任すると、ノーフォーク島農業近代化推進された。前任のジョセフ・アンダーソン(Joseph Anderson)は、島内農業で鋤を使うことを禁止していたが、彼は、再び、島内に鋤を導入したまた、サイロ建設し、ウォーターミル・ダムのシステム改修実施した1839年島内人口は、囚人1,200人及び180人の軍関係者であったこの人口は、1840年段階では、1,872人の囚人数えようになった。この数字は、ノーフォーク島流刑植民地における囚人人口数字では、最大数字である。1840年に、ノーフォーク島総督就任したアレクサンダー・マコノチー(Alexander Maconochie)はキングストンにおける住居不足や学校存在しないことを記録している。こういった背景から、1840年から1841年にかけて、プロテスタント及びカトリックの礼拝堂建設実施された。さらに、1842年から1844年にかけて、クオリティ・ロウQuality Row)とよばれる道路沿いには、新しく住居建設された。とはいえ、マコノチーの建設計画は、批判対象とされた。ジョセフ・チャイルズ(Joseph Childs)が1844年に、ノーフォーク島総督として就任すると、穏健的だったマコノチーの政策改めヴァン・ディーメンズランド植民地実施していた懲罰規律主とする統治政策実施したチャイルズは、1846年7月1日発生したいわゆるCooking Pot Uprising」と呼ばれる反乱で、総督辞職した1846年8月チャイルズ代わりジョン・プライスJohn Price)がノーフォーク島総督就任したプライスは、先の反乱参加した囚人たち処断した。死刑処分受けた囚人たちは、今日、「Murderer’s Mound」と呼ばれる墓地埋葬された。プライスは、1847年も、ノーフォーク島統治従事し新し牢獄建設されたが、チャールズ・アウグストゥス・フィッツロイ(英語版ニューサウスウェールズ総督命令によって、ノーフォーク島流刑植民地廃止決定された。その後1854年までの8年間で、ノーフォーク島にいた囚人は、徐々に島外移された。プライスは、1853年ノーフォーク島去り1854年には、119人の囚人が残すのみとなった。こうして、第二次入植終了した

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