ラジオ競馬中継の見直し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 00:05 UTC 版)
1980年代の中央競馬は、ミスターシービーからシンボリルドルフ、イナリワン、オグリキャップに至るまで毎年のようにスーパースターホースを輩出し、空前のブームに沸いた。MBS社内もラジオで放送していた『日曜競馬』『土曜競馬』の高聴取率に沸き立っていた。 「競馬ファン#第二次競馬ブーム」も参照 しかし、斎藤は早くも競馬ブームが去った後のコンテンツの在り方を考えていた。強い既得権益と安定した収入を得ていた『日曜競馬』は自局で存続するにしても、『土曜競馬』はMBSが制作を請け負えるのなら、他局に移してもいいのではないかと思うようになり、日本中央競馬会と交わしていた業務委託契約を取り持っていた電通関西支社に話を持ち掛ける。すると、ラジオ日本『ジャイアンツナイター』のネット受け開始以来週末午後のコンテンツ確保に苦心していたラジオ関西がこの話に乗ってきた。 「ラジオ関西ジャイアンツナイター#『ゴールデンナイター』としての再開」および「ラジオ日本ジャイアンツナイター#バッチリナイターからジャイアンツナイターへ」も参照 1991年(平成3年)4月改編で、MBSとラジオ関西は競馬放送限定の業務提携を交わし、MBSが制作し送出のみラジオ関西から行うという形で『土曜競馬』の一部時間帯が移管された。 詳細は「GOGO競馬サタデー!#概要・歴史」および「ラジオ関西#他の系列との関係」を参照
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