空前のブーム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 16:16 UTC 版)
1955年5月30日、日本テレビのボクシング中継・パスカル・ペレス対白井義男戦(3度目の対戦)では、96.1パーセントの視聴率を記録(電通調べ)。これはビデオリサーチが視聴率調査を開始した1962年12月3日の前後を通じて、テレビ番組の最高視聴率とされている。この他、ビデオリサーチによる調査開始以前のボクシング中継では、1959年8月10日のパスカル・ペレス対米倉健志戦(フジテレビ)が88.0パーセント、1959年11月5日のパスカル・ペレス対矢尾板貞雄戦(フジテレビ)が92.3パーセント、1960年5月23日のジョー・ベセラ対米倉健志戦(日本テレビ)が78.7パーセント、1961年6月27日のポーン・キングピッチ対関光徳戦が64.9パーセントを記録している。 ビデオリサーチによる調査については「#視聴率ランキングと観客動員数」を参照 1960年代前半、日本にはかつてないボクシング・ブームが起こり、元旦から試合が行われ、テレビでは週に10本以上のプロボクシング中継があった。高度経済成長にともなって1962年3月にはテレビ受像機の普及台数が1,000万台を超え、新たなスターが育ちつつあったプロボクシングは視聴者、テレビ局、スポンサーの需要を満たしていた。1962年からは3年連続でフジテレビが大晦日にボクシング中継を行った(大晦日のボクシング興行については大晦日興行#ボクシングを参照)。1962年の大晦日には海老原博幸が登場。1963年には関光徳が東洋太平洋王座の防衛戦を行ったが、同年大晦日の第14回NHK紅白歌合戦はビデオリサーチによる調査開始以降の歴代最高となる81.4パーセントの視聴率を記録し、視聴率競争ではかなわなかった。しかし翌1964年の大晦日にもフジテレビは関の東洋太平洋王座防衛戦を中継した。 1967年1月11日にNASAがインテルサットの通信衛星インテルサット2を打ち上げると、フジテレビは1月29日にメキシコシティで行われる世界フェザー級タイトルマッチの同時生中継を行うことを発表。これは関光徳のビセンテ・サルディバルへの2度目の挑戦だった。また、日本テレビは2月6日にテキサス州ヒューストンのアストロドームで行われるモハメド・アリとアーニー・テレルの世界ヘビー級タイトルマッチを衛星中継することを発表した。関対サルディバルのリマッチでは、フジテレビは現地にアナウンサーを送り、東京ではファイティング原田をはじめとする数人の解説者が同局のスタジオで生中継を担当した。試合が始まる前、メキシコでは日曜日の午後8時、日本標準時では月曜日の午前11時35分に中継を開始。これはスポーツ競技初の太平洋を超えての衛星生中継で、画質は鮮明だった。 1960年代には平均視聴率が30パーセントに達するレギュラー番組もあり、日本ボクシングは黄金時代と呼ばれる時期を迎えたが、プロボクシングと反社会勢力の関わりを理由として、NHKが1962年2月7日の海津文雄対権堂正雄戦を最後にプロボクシング中継を終了させたのに加え、視聴者やテレビ局が野球、大相撲、ボクシング以外にも放送に適した競技があることに気づくと、各局のボクシング中継はそれぞれ週に1本程度となった。しかし、同時期の米国と較べると会場の集客数が激減するような損失はなかった。
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