六回も蘇った義経
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「義経=ジンギスカン説」の記事における「六回も蘇った義経」の解説
源義経の復活劇は1924年の『成吉思汗ハ源義經也』が最初ではない。義経生存説は日本の中世史から近代において何度も世間に囁かれている。 正徳2年(1712年)義経は衣川で死なず、蝦夷地に脱出し義経は神として崇められつつ蝦夷のどこかで生存し子孫はアイヌの棟梁になった。 享保2年(1717年)義経は蝦夷に脱出したあと、当時韃靼(中国大陸地方)を支配していた金国に入り、皇帝の章宗から厚遇され子孫も栄えた。 天明3年(1783年)義経は蝦夷から韃靼に渡った。子孫は繁栄しやがて「清国」を建国した。 明治18年(1885年)義経は蝦夷から韃靼を経てモンゴルに入り成吉思汗となった。 大正13年(1924年)小谷部の『成吉思汗ハ源義経也』によって義経=成吉思汗説が空前のブームになる。 江戸時代中期の勃興から三〇〇年間囁かれ、息の長い生存説となっている。
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