六回目の執政官(紀元前439年)
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「ティトゥス・クィンクティウス・カピトリヌス・バルバトゥス」の記事における「六回目の執政官(紀元前439年)」の解説
紀元前439年、ティトゥス・クィンクティクスは6回目で最後の執政官に就任した。同僚執政官はアグリッパ・メネニウス・ラナトゥスであった。この年、ローマでは深刻な飢餓が発生したが、裕福なプレブスであるスプリウス・マエリウス(en)が私財で小麦を購入し、ローマ市民に分配した。これで彼の人気は上昇し、「王」であるとみなされるようになった。この危機(ローマの法では「王となろうと試みる者はいかなる時においても殺されるべき」とされていた)に対するため、両執政官は齢80を超えていたルキウス・クィンクティウス・キンキナトゥスを独裁官に任命した。彼はガイウス・セルウィゥス・アハラを彼のマギステル・エクィトゥム(副官)に選んだ。定説では、アハラはキンキナトゥスの了解の下、逮捕時に抵抗したスプリウス・マエリウスを殺害したとされる。その直後にキンキナトゥスは独裁官を辞し、その権力を元老院に返却した。
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