六国史以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 01:00 UTC 版)
その後も修史事業は試みられ「新国史」なるものが存在したと伝聞されるが、若干残った逸文から見ると完成奏上に至らなかったとする見解が主流であり、原因としては律令政治の衰退があげられる[要出典]。
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