六地蔵宝塔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/29 06:33 UTC 版)
元禄14年(1701)に松玄院第八世諶応等が開眼導師となり、常陸国真壁郡小栗庄下館の真誉諶入が建立した。菩提車六地蔵とも呼ばれる。六角石の上部は地蔵の彫刻で、中央に六角形の木製車輪があり、これを回転させると災難から免れるという。 遊楽寺は、元々朝倉一乗谷にあり、朝倉氏滅亡ののち、柴田勝家により足羽山に遷され愛宕山有楽寺となり、別当松玄院を建立した。明治3年(1867) 神仏分離の際昌救院と合併、愛宕神社となったが、明治33年(1900)の大火で全焼した。
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