六国史、倭名類聚抄、延喜式における「三上」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/15 23:34 UTC 版)
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古代文書を見るに、地名では『六国史』『日本後紀』および『日本三代実録』や、『和名類聚抄』、『延喜式』に見える備後国三上郡、人名では『続日本紀』の田中朝臣三上や三上王、多治比眞人三上、『日本後紀』の朝原忌寸三上(山城国人大初位で宿禰の賜姓を受けた人物)が見られるのみで、近江国との関連は見られない。これらの文書で唯一近江国に関連する「三上」の記述は『日本三代実録』の貞観7年(865年)8月28日の条および同貞観17年(875年)3月29日の条にある「三上神」の記述のみである 。
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