空前のF1ブーム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 02:10 UTC 版)
「F1世界選手権の歴史」の記事における「空前のF1ブーム」の解説
1983年、ホンダはエンジンメーカーとしてF1に復帰し、ウィリアムズとマクラーレンとのジョイントで1986年から1991年まで6年間コンストラクターズチャンピオン連覇という最強時代を築いた。1987年には中嶋悟が日本人初のフル参戦F1ドライバーとなり、10年ぶりの日本GPが鈴鹿サーキットで開催された。 バブル景気下でモータースポーツ熱が高まる中、「ホンダ、中嶋悟、アイルトン・セナ」人気により若者世代を中心に空前のF1ブームが巻き起こる。F1関連商品や情報が各種メディアをにぎわし、フジテレビの日本GP中継は20%を超える視聴率を記録した。海外投資熱にわく日本企業が相次いでスポンサーに参入し、マーチ(レイトンハウス)、アロウズ(フットワーク)、ラルース(エスポ)、ブラバムではチーム買収により日本人オーナーが誕生した。 ホンダに続くエンジンメーカーとして1989年からヤマハ、1990年にスバル(モトーリ・モデルニとの共同開発)、1992年から無限ホンダ(現M-TEC)が参戦。ドライバーも中嶋に続き鈴木亜久里、片山右京がフル参戦し、服部尚貴、鈴木利男、野田英樹がスポット参戦した。鈴木亜久里は1990年の日本GPで3位入賞し、日本人で初めてF1の表彰台に立った。 1994年と1995年にはTIサーキット英田(現岡山国際サーキット)でパシフィックGPが開催され、鈴鹿の日本GPとあわせて選手権の2戦が日本で開催された。
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