空前の高額賞金の“フューチュリティ”
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:05 UTC 版)
「フューチュリティステークス (アメリカ合衆国)」の記事における「空前の高額賞金の“フューチュリティ”」の解説
この新競走を考案したのがシープスヘッドベイ競馬場の経営者、ジェームズ・G・K・ローレンスだった。この競走に出走を希望するものは、予め仔馬が誕生するよりも前に、登録料を支払ってこの競走に予備登録を行う。1歳の夏に2度めの予備登録があり、競走の直前に最終の登録を行う。登録の度に登録料を支払う。第1回の場合、仔馬が誕生する前の1865年にまず25ドルを支払って登録をする。この時は752頭の登録があった。1866年に生まれた仔馬が1歳になった1867年の7月15日までに2度めの登録を行い50ドルを支払う。出走前の最終登録では250ドルを支払う。こうして集められた資金が史上空前の賞金の大半を賄うことになる。このほかにコニーアイランド競馬会が1万ドルを拠出し、賞金の総額はざっと5万ドルに達した。優勝馬に与えられる賞金だけでも4万ドル以上になった。 この額は、アメリカ競馬史上最高賞金額となった。たとえばこの頃始まっていたベルモントステークスの賞金は1着1万ドルほどだったし、たいていのステークス競走の1着賞金は数百ドルから1000ドル程度だった。これらに比べると、フューチュリティの賞金は“天文学的な”高額だった。 このように、“将来(フューチュリティ)”生まれてくる仔馬のために投資をすることから、この大競走は「フューチュリティ」と命名された。
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