ラルース【Larousse】
ラルース
ルノー、リジェでチームマネージャーを歴任したジェラール・ラルースによって設立されたコンストラクター。F1における活動は2期に分けられるが、最初は1987年にラルース・カラメル・ローラチームとしてローラのシャシーを使ってF1に参戦した。エンジンはコスワース、ランボルギーニ、ハートと毎年のように変わったが、困難な状況のなかで90年の日本GPでは鈴木亜久里が3位表彰台を獲得する活躍をみせた。92年からはシャシーをラルースUK製のフォメット1に変え、新たなスタートを切った。ランボルギーニエンジンを得た新生ラルースは94年までの3年間フル参戦したが(94年はフォードHB)、最高位は93年のランキング10位だった。
ラルース
ラルース
ラルース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 10:03 UTC 版)
「ジェラール・ドゥカルージュ」の記事における「ラルース」の解説
1988年にロータスを離れ、ラルースに移籍し、テクニカルディレクターを務める。1990年のマシンLC90は鈴木亜久里のドライブにより日本グランプリにてチーム最高の3位入賞を果たす。
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ラルース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 08:36 UTC 版)
1987年にラルースからシャシー開発を受託し(1989年まではコンストラクター名も「ローラ」だった)、1991年まで同チームにLCシリーズを供給した。1990年の日本グランプリでは、ランボルギーニエンジンを搭載したローラ(ラルース)のマシンを駆る鈴木亜久里が3位表彰台を獲得している。1991年も同チームにシャシーを開発・供給したが、チームの資金難もあって開発がまったく出来ないシーズンでもあった。またこの年をもってラルースへのシャシーの委託開発の契約が終了した。 ラルースはローラに対して債務を負っていたが、1992年を前にラルースが破産宣告を行ったため、ローラは車両に関する代金をラルースから回収することができなかった。なおラルースは別組織を立ち上げ、1992年以降もF1に参戦した。
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「ラルース」の例文・使い方・用例・文例
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