ティレルへの復帰 ラルースへのスポット参戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 07:45 UTC 版)
「ミケーレ・アルボレート」の記事における「ティレルへの復帰 ラルースへのスポット参戦」の解説
1989年 古巣のティレルに6年ぶりに復帰する。しかし契約金等はなく、マールボロからの支援と獲得賞金の何パーセントかが手に入るだけだった。この年ティレルはハーベイ・ポスルスウェイトの手による非力ながらも洗練されたマシン、ティレル・018を使用。サンマリノGPは予選落ちとなったが、モナコGPで5位入賞、第4戦メキシコGPでは3位表彰台を射止めた。このころ、足の故障が悪化したジョニー・ハーバートの解雇を考えていたベネトンから移籍の誘いを受ける。しかしベネトン側が資金の持ち込みを要求したことから交渉が難航。そのうちにベネトンとの交渉の話が外部に洩れたことから、ケン・ティレルは代わりのドライバーとして新人ジャン・アレジを確保、ベネトンもエマニュエル・ピロと契約したことからシートを失ってしまう。 その後2戦欠場を経て、スランプに陥っていたヤニック・ダルマスの後任を探していたラルースのチーム代表・ジェラール・ラルースから声が掛かり、第9戦西ドイツGPからラルース・ローラ・LC89の29号車のシートを得た。ラルースはマールボロのライバルであるキャメルからの支援を受けていたことから、長年支援を受けてきたマールボロとの契約を打ち切ってのラルース加入であった。完走は第13戦ポルトガルGPの1回に留まった(11位)。4回のリタイヤを喫し、ラスト3戦は決勝に進むことができなかった。特にスペイングランプリとオーストラリアグランプリは、予備予選すら通過出来ずに終わっている。 こうしてシート獲得に苦労した一年となり、不安定な状況を繰り返したくないと前年より早めに数チームと来季シート交渉を進め、ここ数年は常に複数回入賞し安定感のある中堅チームであったアロウズに「1stドライバーとして」契約、第14戦スペインGPの時点で来季体制を確保し復活を期した。
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