アーニー・テレルとは? わかりやすく解説

アーニー・テレル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/22 21:42 UTC 版)

アーニー・テレル
基本情報
本名 アーネスト・テレル
階級 ヘビー級
身長 198cm
リーチ 208cm
国籍 アメリカ合衆国
誕生日 (1939-04-04) 1939年4月4日
出身地 イリノイ州
死没日 (2014-12-16) 2014年12月16日(75歳没)
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 55
勝ち 46
KO勝ち 21
敗け 9
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アーニー・テレル(Ernie Terrell、本名:アーネスト・テレル、1939年4月4日 - 2014年12月16日)は、アメリカ合衆国の男性プロボクサー。元WBA世界ヘビー級王者。モハメド・アリのライバル王者であったが、アリとの統一戦に敗れタイトルを吸収された。イリノイ州シカゴ生まれ。

経歴

身長198センチの長身を活かしたジャバー(ジャブの名手)。アマのリングで活躍、1957年にゴールデン・グローブを獲得しプロへ。クリーブランド・ウィリアムス、ゾラ・フォーリー、ボブ・フォスターら強豪を下して世界ランク入り。

1965年3月5日、空位のWBA世界ヘビー級王座決定戦としてモハメド・アリから剥奪したベルトを懸けてエディ・マッチェンと争い、15回判定勝ちで王者になった。ジョージ・シュバロ、ダグ・ジョーンズと二度の王座防衛を達成したが、アリの陰に隠れ地味な存在のままだった。

1967年2月6日、WBC王者アリとの王座統一戦に臨む。試合前、テレルはアリを意図的に旧名の「カシアス・クレイ」と呼んで挑発した。試合はアリのワンサイドであったが、アリはテレルを乱打しながら止めを刺さず、「俺の名前を言え、言ってみろ」と叫び続けた。

アリがタイトルを剥奪されたため、テレルは王座決定トーナメントに出場したが、サッド・スペンサーに敗れ王座返り咲きはならなかった。同年引退。その後一度カムバックを試みたが失敗。ボクシング・プロモーターに転身した。

1987年、シカゴの市会議員選挙に出馬するが落選。

2014年12月16日、イリノイ州の病院で死去。晩年は認知症を患っていた[1]

通算戦績

55戦46勝(21KO)9敗

脚注

  1. ^ ボクシング=元ヘビー級王者テレル氏死去、対アリ戦が有名に”. ロイター (2014年12月18日). 2014年12月18日閲覧。

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