皐月賞とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/19 23:13 UTC 版)
鞍上が須貝から南井克巳に乗り替わった皐月賞で、ハクタイセイはアイネスフウジン、メジロライアンに次ぐ3番人気に推された。レースでは好位をキープし、逃げるアイネスフウジンをクビ差差し切って、6連勝で父のハイセイコーに続く皐月賞父子制覇を成し遂げた。調教師の布施正は、既にバンブーアトラスで東京優駿(日本ダービー)、バンブービギンで菊花賞を獲得しており、この勝利で史上7人目の3冠トレーナーとなった。また、小倉デビュー馬のクラシック制覇は史上初の快挙だった。 続く東京優駿(日本ダービー)では南井が所属厩舎のロングアーチに騎乗することとなったため、新たに鞍上に武豊を迎えて、父が果たせなかった2冠制覇に挑んだ。しかし、レースでは逃げるアイネスフウジンをマークする2番手で追走したが、直線でぱったりと止まり5着に終わった。 ダービー後、ハクタイセイは屈腱炎を発症し、長期休養に入った。復帰の目途が立ったのは1年後、安田記念がその復帰戦となるはずであった。しかし、レースを目前にして繋靭帯炎を発症。出走取り消しとなり、引退を余儀なくされた。
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