皐月賞・日本ダービー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 00:26 UTC 版)
「マティリアル」の記事における「皐月賞・日本ダービー」の解説
4月19日に迎えた皐月賞で、マティリアルは1番人気に支持された。しかし、枠番は田中が唯一危惧していた最内の1枠1番であった。スタートが切られるとマティリアルはスタートダッシュがつかず、前走に続き後方からのレースとなった。向正面ではインコースを通って好位に上がりかけたものの、第3コーナーで再び位置を下げ、直線では外に進路をとってから追い込む形となった。2番人気のサクラスターオーがいち早く抜け出し、マティリアルはゴールドシチーと併走するように上がっていったが、同馬にアタマ差及ばずの3着となった。田中は「敗因はただひとつ、1枠でした。それがすべてでしたね。その意味では、運がなかった。スプリングのときと同じように、岡部騎手が苦労して直線までもってきましたが、19頭の馬群を捌くのは大変でした。直線ではすごい脚を使ってるんですが、届かないと思いました」と述べている。他方、日本ダービーに向けては「直線の長い東京競馬場ならば」という評価もあった。 競走後、和田の指示によりマティリアルは中山競馬場から直接シンボリ牧場へ放牧に出された。これは牧場所有施設で和田が自ら陣頭指揮をとり調教するためであった。田中は週に一度程度その様子を見に牧場へ赴いたが、そのたびにマティリアルの馬房の前でずっとその様子を見守る和田の姿があったといい、様々な薬も投与されていたという。これはかつてのシンボリルドルフに対しても同様であったが、ルドルフほどの図太さがないマティリアルには逆効果にはたらき、美浦トレーニングセンターに戻ったときには疲弊した様子であった。そうしたなか、日本ダービーでは単枠指定されることになる。田中は「内心『やめてくれ』と叫びたい気持ち」になったといい、「人気を煽るだけだし、ファンの方々に迷惑を掛けるから」と競馬会に指定の取り消しを求めたが、容れられなかった。後に岡部は「乗りたくなかった。本当にダービーには乗りたくなかった。これまでだって、勝てる可能性の少ないと思う馬に乗ることは数多く経験しているけど、人気もそれなりでしょう。だけど、マティリアルは出れば必ず1番人気になることは分かっていたし。で、ダービーでしょう。雰囲気からして独特のものがある。万全の仕上がりだったら、喜んで乗ったんだけど……。とにかく、僕としては乗りたくなかった」と述べている。 日本ダービーを前に、皐月賞馬サクラスターオーや前哨戦のNHK杯を勝ったモガミヤシマが故障により戦線離脱。皐月賞が1着から10着まで0.2秒差に固まっていたこともあり、ダービーは混戦模様ともいわれた。当日は単枠指定のマティリアルが1番人気に支持されたが、馬体重は前走から16kg減と細化していた。スタートが切られると岡部マティリアルは前2走とは打って変わり中団より前の位置につけたが、そこから伸びることなくメリーナイスの18着と敗れた。陣営は「甘くなかった。ダービーは八分の出来じゃ勝てっこない」とのコメントを残している。
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