レースの記録
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優勝馬ヴィクトリー。音無秀孝調教師と田中勝春騎手はともに初勝利。同馬はその後12連敗して1勝も出来なかった。 田中勝春騎手はヤマニンゼファーで勝った1992年安田記念以来、G1/Jpn1連敗記録(139敗)を更新中だった。しかし、ヴィクトリーの勝利で連敗はストップし、15年ぶりの中央競馬のGI/JpnI制覇となった。(それ以前にGI競走は全日本2歳優駿(地方競馬・川崎)で勝利している) 6着ローレルゲレイロ。翌々年高松宮記念、スプリンターズステークスを制した。 7着アサクサキングス。この後、日本ダービー2着で秋の菊花賞を制す。 8着ドリームジャーニー。翌々年宝塚記念と有馬記念を制す。三冠馬オルフェーヴルの兄。 外国産馬の出走枠が6頭に拡大。 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告によりJpn1に重賞格付けを変更。2010年にG1に戻る。
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レースの記録
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※優勝馬シンボリルドルフ。門別シンボリ牧場産。父パーソロン。母スイートルナ。母の父スピードシンボリ。生涯通算16戦13勝。この年4歳で皐月賞・日本ダービー・菊花賞を制し、史上4頭目の三冠馬となり、この有馬記念勝利で4歳で史上初の四冠を達成。これはその後ナリタブライアン・オルフェーヴルが達成してこれまで3頭しかない記録である。この翌年の5歳時に天皇賞(春)・ジャパンカップ・有馬記念を制し、七冠馬と呼ばれる。以後は種牡馬として1991年二冠馬トウカイテイオーを出す。2011年死去。 ※シンボリルドルフはグレード制導入の最初の年に年間最多GI勝利4勝を記録。この記録はその後2000年にテイエムオペラオーが年間5勝するまで年間最多GI勝利数であった。 ※野平祐二調教師・岡部幸雄騎手とも初勝利。野平祐二はスピードシンボリで騎手として2勝しており、騎手と調教師の両方で有馬記念を制した。なおスピードシンボリはシンボリルドルフの祖父になる。 ※2着のジャパンカップ馬カツラギエースは、ジャパンカップと有馬記念とを続けて連対した初めて馬となった。これを最後に引退。 ※勝ちタイム (2分32.8秒)は1978年のカネミノブ以来のレコード更新であった。
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レースの記録
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優勝馬ネオユニヴァース。ここまで6戦3勝。父サンデーサイレンス。母ポインテッドパス。母の父クリス。この後日本ダービーを制し、秋の菊花賞は3着で史上14頭目の二冠馬。生涯通算13戦7勝。瀬戸口勉調教師とミルコ・デムーロ騎手は初勝利。 ミルコ・デムーロは日本のクラシック競走初制覇。前年ノーリーズンで皐月賞を制したブレット・ドイルに続き2年連続で外国人騎手が皐月賞を制した。 2着サクラプレジデント。3着エイシンチャンプ。4着ラントゥザフリーズ。 8着ザッツザプレンティ。秋に菊花賞を制す。 13着ブルーコンコルド。この後ダート路線に変更して以降、マイルチャンピオンシップ南部杯3連覇や東京大賞典を含むダートG1を7勝する。 17着タイガーモーション。外国産馬として史上初めて出走。
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レースの記録
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優勝馬グリーングラス。青森県諏訪牧場産。父インターメゾ。母ダーリングヒメ。母の父ニンバス。生涯通算26戦8勝。4歳時菊花賞を制し、6歳時天皇賞(春)を制す。以後は種牡馬として1985年エリザベス女王杯馬リワードウイングを出す。2000年死去。 7歳馬の勝利は1969年スピードシンボリ以来史上2頭目。 中野隆良調教師は初勝利・大崎昭一騎手はカブトシロー以来2勝目。
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レースの記録
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※優勝馬ナリタブライアン。新冠早田牧場新冠支場産。父ブライアンズタイム。母パシフィカス。母の父ノーザンダンサー。ここまで通算11戦8勝。この後、秋の菊花賞を制し、史上5頭目の三冠馬。また年末の有馬記念を制し、4歳にして四冠を制す。これはシンボリルドルフ以来史上2頭目。翌年春は阪神大賞典を勝つも股関節炎を発症して天皇賞(春)を断念。秋は天皇賞(秋)から3連敗。翌々年再び阪神大賞典に勝って天皇賞(春)を目指したが、同期のサクラローレルに交わされて五冠ならず。生涯通算21戦12勝。以後は種牡馬として北海道に戻ったが1998年死去。 ※大久保正陽調教師・南井克巳騎手とも初勝利。 ※8着オフサイドトラップ。この4年後の天皇賞(秋)で1番人気サイレンススズカが骨折する中で優勝する。この時8歳(現7歳)であった。
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レースの記録
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「第1回東京優駿大競走」の記事における「レースの記録」の解説
優勝馬ワカタカ。千葉下総御料牧場産。父シアンモア。母種信。母の父イボア。三代母ミラ(サラ系)。ここまで3戦2勝。生涯通算21戦12勝。この後、10月23日帝室御賞典(目黒)2000mを制す。引退後は1934年日高種馬牧場へ。しかし種牡馬としてはサラ系としてハンディを背負っていたせいか、後に活躍する産駒が無く1943年種牡馬登録を抹消。1945年死去。東原玉造調教師。函館孫作騎手。 2着オオツカヤマ。尾形景造(後に藤吉)調教師が騎乗。後に調教師として日本ダービー8勝の記録を達成した。なお第1回のこの時は4着オートビス、5着レイコウとも尾形厩舎の管理馬である。 3着アサハギ。伊藤勝吉調教師。後に東の尾形厩舎と並ぶ西の大厩舎を築く。唯一度の日本ダービー制覇を12年後の1949年タチカゼで果たすが、その時はとても勝てない馬だとして東上していなかった。
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