ヴィクトリー【ヴィクトリー】(草花類)
![]() | 登録番号 | 第6173号 |
登録年月日 | 1998年 3月 9日 | |
農林水産植物の種類 | アジアンタム | |
登録品種の名称及びその読み | ヴィクトリー よみ:ヴィクトリー | |
品種登録の有効期限 | 15 年 | |
育成者権の消滅日 | 2001年 3月 12日 | |
品種登録者の名称 | 早川邦彦 | |
品種登録者の住所 | 千葉県市原市小折3番地2 | |
登録品種の育成をした者の氏名 | 早川邦彦 | |
登録品種の植物体の特性の概要 | ||
この品種は,「フリッツ ルース」の突然変異であり,葉柄及び葉軸が帯化して小羽片が癒合した,草丈の低い,胞子を発生しない品種である。 草型は直立,草丈は低である。葉の全体の形は円形,葉縁の巻き込みは無,小羽片全体の形は扇形,基部の内角は極広,小羽片の上部輪郭は裂片形,裂片の深さは中,数は多,均一性は不規則的,縁の波打ちは極強である。とさか状葉は有,葉身長は短,幅は狭,小羽片の長さは短,幅は中,成葉表面及び裏面の色は緑,葉脈は不明瞭,葉脈の分岐は3~4回分岐,葉脈末端の位置は裂片間,葉数及び小羽片数は極少,小羽片の粗密は極密である。葉柄断面の形は扁平,葉軸の蛇曲は無,湾曲は有,葉柄の色は黒,光沢は有である。偽胞膜の形は腎臓形である。 「フリッツ ルース」と比較して,草型が直立であること,葉の全体が円形であること,小羽片数が少ないこと等で区別性が認められる。 | ||
登録品種の育成の経過の概要 | ||
この品種は,平成3年に出願者の温室(千葉県市原市)において,「フリッツ ルース」の胞子を播種し,4年に得られた個体群の中から葉柄,葉軸が帯化した個体を発見,4年から株分けで増殖を行いながら特性の調査を継続し,6年に育成を完了したものである。 |
ヴィクトリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/01 15:04 UTC 版)
ヴィクトリーまたはビクトリー (Victory) は「勝利」の意を表す英語の名詞。
- 1 ヴィクトリーとは
- 2 ヴィクトリーの概要
ヴィクトリー
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ヴィクトリー
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「失われた大陸 (E・R・バローズ)」の記事における「ヴィクトリー」の解説
本作のヒロイン。英国王家の子孫。父はウェティン(ヴィクトリー登場時、すでに故人)。母の他に、小さな妹(メリー)がいる。
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ヴィクトリー(1765年、イギリス、戦列艦)
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「帆船」の記事における「ヴィクトリー(1765年、イギリス、戦列艦)」の解説
トラファルガーの海戦でネルソン提督の旗艦となった戦列艦。イギリス海軍の現役の戦艦としてポーツマス港に保存されている。
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ヴィクトリー
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「サミュエル・サットン」の記事における「ヴィクトリー」の解説
1802年11月、サットンはアマゾンの艦長を退き、1803年初頭に100門艦の一等級戦列艦ヴィクトリーの艦長となった。5月18日、ポーツマスにネルソンが到着し、ヴィクトリーに自らの旗を掲げたが、ヴィクトリーはウィリアム・コーンウォリスに割り当てられており、また戦闘の準備が整っていなかったため、ネルソンは2日後に旗を降ろし、サットンに、ヴィクトリーの戦闘準備をすませてウィリアム・コーンウォリスに届けさせるようにした。ネルソンはその後すぐさま、地中海艦隊のトマス・ハーディ艦長のアンフィオン(英語版)に乗って地中海へ向かった。ネルソンはまた、もしコーンウォリスがヴィクトリーを旗艦としたくないのであれば、サットンがヴィクトリーに乗艦して、地中海艦隊でネルソンと合流すべきとの命令を残していた。 サットンはウェサン島沖でコーンウォリスに合流し、そこでコーンウォリスは、サットンに、ネルソンと共に行動するよう命じた。サットンとヴィクトリーは、シシエ岬沖でネルソンと合流して航海を続け、5月28日、フランスのフリゲート艦エムビュスカード(英語版)に出くわした。アンバスケードは西インド諸島からの航海をして来て、ビスケー湾に入ろうとしていた。このエムビュスカード、かつてのイギリス艦アンバスケードは逃走を試みたが、改装をすませたばかりのヴィクトリーから逃げることはできず、一発の砲弾も打てないまま降伏した。サットンはエムビュスカードを拿捕し、航海を続けて、7月の終わりに地中海艦隊と合流した、そこではネルソンが提督旗を掲げていた。サットンはフラッグキャプテンとしてハーディを連れてきており、サットン自身はハーディの前任艦であるアンフィオンに乗務した。
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