ヤングジョッキーズワールドチャンピオンシップ
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ヤングジョッキーズワールドチャンピオンシップ(Young Jockey's World Championship)は、1992年から1996年まで中山競馬場の第2回開催中に施行された中央競馬の国際若手騎手招待競走で世界各地で目立った活躍を見せた若手騎手と日本から中央・地方競馬の代表騎手12人(おおむね25歳以下)を選抜し、4競走のポイント制で総合優勝を争った。ただし、このシリーズに関連する競走は全て重賞競走ではない。
大会のルール
下の4つのレースの合計得点で決める(得点は下の得点表を参照)。同ポイントで複数の騎手がトップで並んだ時には同点決勝等のプレーオフは開催せず同点優勝とする。
対象競走
- オープニングカップ
- グローバルカップ
- セレブレイションカップ
- ファイナルカップ
- (同じ週で)前者2レースは土曜日に、後者2レースは日曜日に施行された。
開催規定
- それぞれの競走につき、競走成績に応じて次のようなポイントを与える。但し、出走頭数が揃わなかった場合や競走馬の事故による競走中止・出走取消など騎手の責任を問わないで出走馬が完走できなかった場合には当該競走で最低着順の騎手が獲得したのと同数のポイントが与えられる。
1着 | 2着 | 3着 | 4着 | 5着 | 6着 | 7着 | 8着 | 9着 | 10着 | 11-12着 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
20点 | 15点 | 13点 | 11点 | 10点 | 6点 | 5点 | 4点 | 3点 | 2点 | 1点 |
- これを4競走(土曜日、日曜日それぞれ2競走ずつ)行い、総合ポイント成績の上位騎手に対し賞金が贈呈される。
- 総合優勝騎手 300万円とカップ
- 総合2位騎手 200万円とカップ
- 総合3位騎手 100万円とカップ
歴代出場騎手
騎手の所属・年齢は当時のもの。
回 | 年月日 | 施行場 | 優勝騎手 | 出場騎手 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1992年 3月 14・15日 |
中山 | ![]() (イギリス) |
![]() (イギリス/25歳) |
![]() (アイルランド/21歳)[注釈 1] |
![]() (オーストラリア/21歳) |
|
![]() (アメリカ/21歳) |
![]() (イギリス/21歳) |
![]() (カナダ/17歳) |
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![]() (JRA・栗東/24歳) |
![]() (JRA・美浦/24歳) |
![]() (JRA・美浦/21歳) |
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![]() (JRA・栗東/20歳) |
![]() ( ![]() |
![]() ( ![]() |
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2 | 1993年 3月 6・7日 |
中山 | ![]() (イギリス) |
![]() (アメリカ/25歳) |
![]() (オーストラリア/25歳) |
![]() (イギリス/22歳) |
|
![]() (フランス/21歳) |
![]() (アメリカ/20歳) |
![]() (アイルランド/20歳) |
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![]() (JRA・美浦/25歳) |
![]() (JRA・栗東/23歳) |
![]() (JRA・美浦/22歳) |
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![]() (JRA・栗東/19歳) |
![]() ( ![]() |
![]() ( ![]() |
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3 | 1994年 3月 5・6日 |
中山 | ![]() (アメリカ) |
![]() (アメリカ/26歳) |
![]() (アラブ首長国連邦/25歳) |
![]() (イギリス/24歳) |
|
![]() (ニュージーランド/23歳) |
![]() (フランス/21歳) |
![]() (カナダ/20歳) |
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![]() (JRA・栗東/26歳) |
![]() (JRA・美浦/26歳) |
![]() (JRA・美浦/23歳) |
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![]() (JRA・栗東/22歳) |
![]() ( ![]() |
![]() ( ![]() |
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4 | 1995年 3月 4・5日 |
中山 | ![]() (JRA・美浦) |
![]() (アメリカ/25歳) |
![]() (アメリカ/24歳) |
![]() (イタリア/24歳) |
|
![]() (イギリス/23歳) |
![]() (フランス/22歳) |
![]() (オーストラリア/19歳) |
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![]() (JRA・美浦/27歳) |
![]() (JRA・栗東/24歳) |
![]() (JRA・美浦/24歳) |
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![]() (JRA・栗東/22歳) |
![]() ( ![]() |
![]() ( ![]() |
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5 | 1996年 3月 2・3日 |
中山 | ![]() ( ![]() |
![]() (アメリカ/26歳) |
![]() (アメリカ/26歳) |
![]() (イギリス/24歳) |
|
![]() (フランス/22歳) |
![]() (ニュージーランド/19歳) |
![]() (アイルランド/18歳) |
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![]() (JRA・栗東/26歳) |
![]() (JRA・美浦/26歳) |
![]() (JRA・栗東/25歳) |
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![]() (JRA・美浦/25歳) |
![]() ( ![]() |
![]() ( ![]() |
その他
- 当日は障害競走を除く全競走が指定競走とされ、自由に騎乗することが出来た(エキストラ騎乗)。そのため1992年に参加したコーリー・ナカタニ騎手は、初日土曜日の第3競走・未勝利戦で1番人気だったニホンピロナーリーに騎乗して勝利し、中央競馬(JRA)初騎乗初勝利を記録。さらに日曜日・第10競走の中山記念[注釈 3]でも4番人気だったニホンピロブレイブでJRA重賞初騎乗を果たし2着になるなどの活躍をみせた。
脚注
注釈
- ^ 第1戦のオープニングカップ(騎乗予定馬:デザートローズ、負担重量55.0kg)は体重オーバーのため騎乗ができず、代役として江田照男(JRA・美浦)に騎手変更となった。第2戦以降は騎乗したが、第2戦のグローバルカップ(騎乗予定馬:ジングウオー、負担重量57.0kg)は0.5kgオーバーの57.5kgで騎乗。翌日の第3・4戦は規定の重量で騎乗している[1][2]。
- ^ 当時のJRA発表の表記に基づく(「Olivier Peslier」のスペルから表記)。同年秋のJRA短期免許取得時以降は現在の「オリビエ・ペリエ」の表記となった。
- ^ この年は第4戦の「ファイナルカップ」がメインの第11競走として実施したため、重賞ではあったが準メインの第10競走として実施されている[3]。
同様の事例として1987年から1990年の鳴尾記念、1991・1992年の阪神3歳牝馬ステークス(現:阪神ジュベナイルフィリーズ)がいずれもワールドスーパージョッキーズシリーズ第4戦の「ゴールデンホィップトロフィー」がメインの第11競走として実施したため、重賞(阪神3歳牝馬ステークスはGI競走)ではあったが準メインの第10競走として実施されている。
出典
- ^ オープニングカップ|1992年3月14日 - netkeiba
- ^ グローバルカップ|1992年3月14日 - netkeiba
- ^ 10R 中山記念|1992年3月15日(日) 2回 中山 6日 - JBISサーチ(JBIS-Search)
関連項目
- ヤングジョッキーズワールドチャンピオンシップのページへのリンク