開発経過とは? わかりやすく解説

開発経過

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 17:51 UTC 版)

F-15 S/MTD (航空機)」の記事における「開発経過」の解説

マクドネル・ダグラス社は1984年10月1日1億1,780ドルアメリカ空軍飛行空力研究所から機体の設計改造試験契約結んだ。期間は5年間とされ、マクドネル・ダグラス社が主契約社となり、エンジン排気ノズルプラット・アンド・ホイットニー社新型飛行操縦システムゼネラル・エレクトリック社、フライ・バイ・ワイヤFBW)をナショナル・ウォーター・リフト社、降着装置をクリーブランドマチック社がそれぞれ担当し、副契約社として選ばれた。作業1985年末までを第1フェイズとして、機体の設計エンジン排気ノズル開発実施した機体アメリカ空軍所有試作11号機(複座型1号機)TF-15B(71-0290)を借用し以下の試験技術搭載した二次元スラスト・ベクタリング/スラスト・リバーシング排気ノズル2D TV/TR) 飛行操縦及びエンジン制御システム統合(IFPC) 未舗装運用可能な降着装置 機上着陸誘導表示装置 先進パイロット航空機インターフェイスPVIシステム 1986年より開発フェイズ2移行し機体改修作業が行われた。若干の遅れが生じたものの各作業滞りなく進み1988年9月7日初飛行行った改修され機体には「F-15 S/MTD」(Short take-off and landing/Maneuvering Technology Demonstrator短距離離着陸/機動技術デモンストレーター)と名付けられた。 初飛行時は従来型排気ノズル装着しており、基本的な飛行特性確認後の1989年初頭二次元推力偏向ノズル取り付け同年5月10日二次元推力偏向ノズル取り付けて初飛行が行われた。その後13か月間に、総飛行回数100回の飛行試験予定されていた。

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ララ・クロフト」の記事における「開発経過」の解説

エイドスの子会社コア・デザイン(英語版)はビデオゲームトゥームレイダースの主人公であるララ・クロフト開発1993年開始した。リードグラフィックアーティストのトビー・ガード(英語版)はキャラクター最終的な外観行きつくまでに、約5つデザイン検討した彼の当初想定では、主人公は鞭とハットを身につけた男性であった。コア・デザインの共同設立者Jeremy Smithデザインの特徴付けインディアナ・ジョーンズ派生品として、さらにオリジナリティー求めたガードデザイン観点女性キャラクターである方がうまくいく判断したまた、歌手ネナ・チェリーコミックブックのキャラクタータンク・ガールにインスパイアされた。 シリーズ初期日本語版のレイラ・クロフトという名前は、当時プロデューサーが、ララという名前が日本人感性的に変だと感じたため当時アニメや曲などにちなんで「レイラ」に変更したのである

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パンジャンドラム」の記事における「開発経過」の解説

計画では上陸用舟艇から発進ロケットモーターによって車輪高速回転させ、無誘導100キロメートル毎時上で目標突進させる予定であった。 だが実験の結果砂浜で摩擦凹凸により空転したり、急に予測不能な向き方向転換するロケット脱落するなどの問題多発して開発難航直進すら叶わず不成功終わった安定性を増すために本体大型化トルクを増すためにロケットモーター増強脱落防止のため補強するなど、幾多改良行いながら実験繰り返されたが、根本的な構造上の問題や、当時技術的限界もあって問題点解決できず、開発中止された。 標的衝突させるではなく戦車などの車両が海から砂浜上陸する際に、車輪無限軌道が砂に嵌るのを防止する目的で、先に軌跡カーペット敷設させるために用いるという案も出されたが、前述理由により実現されなかった。なお、後にチャーチル歩兵戦車改造した工兵用作業車のバリエーション一つとしてこの役割を担うチャーチル・カーペットレイヤーが登場している。

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新三国トンネル」の記事における「開発経過」の解説

2000年平成12年) - 群馬県利根郡新治村(現みなかみ町)・新潟県南魚沼郡湯沢町などが「新三国トンネル開削促進期成同盟会」を結成、国や県にトンネル付け替え要望2004年平成16年) - 国土交通省新三国トンネル調査計画等を開始2013年平成25年8月 - 新三国トンネル開削向けた準備工事着工2016年平成28年3月 - 国土交通省より準備工事の進捗報告。なお、この時点では開通時期は未定となっていた。 2017年平成29年8月 - トンネル掘削工事開始2019年令和元年8月8日 - トンネル貫通10月1日 - トンネル貫通が行われる。 2022年令和4年3月19日 - 開通式典セレモニー経て16時開通

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九九式七糎半戦車砲」の記事における「開発経過」の解説

本砲の研究1937年昭和12年7月陸軍技術本部改訂兵器研究方針により研究開始設計着手したものの1939年昭和14年6月設計方針変更により一旦白紙戻された。再設計行い1940年昭和15年3月陸軍造兵廠大阪工廠対し試製発注された。試製砲は同年12月竣工し竣工試験実施した上で試験に基づく修正施した。翌1941年昭和16年3月には九七式中戦車車台改修した試製一式砲戦車搭載し総合的な試験実施しその結果に基づき威力増大した第2号砲を7月発注した第1号砲は改修施して8月改修機能試験実施、更に翌9月陸軍戦車学校実用試験委託した第2号砲は翌1942年昭和17年2月完成竣工試験三菱重工にて一式中戦車車台改修した試製車両搭載して試験実施、ほぼ満足すべき結果得た同年6月電気発火電磁石完成し撃発装置一部改修した本砲に取り付け大津川射場において機能抗堪性試験実施した同年12月には第四陸軍技術研究所完成した二式砲戦車九九式七糎半戦車砲電気発火装置付を搭載し千葉県一ノ宮演習場にて射撃試験実施千葉茨城栃木県下で運行試験実施した電気発火装置機能抗堪性共に良好であったため、本砲の撃発機は電気発火主体手動発火補助とすることとした。 以上をもって本砲の仮制式制定上申1943年昭和18年7月21日、仮制式制定された。

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Tu-334 (航空機)」の記事における「開発経過」の解説

Tu-334開発ソ連崩壊に伴うロシア経済混乱のため、資金難であったために1990年代ゆっくりと進められプロトタイプ1995年作られたがこれは少数システムしか搭載しておらず、実際に初飛行成功したのは1999年2月8日のことであった。その年にMiGとの間で生産に関する契約を結び一部生産MiG請け負うこととなった2003年には、ウクライナアントノフTu-334製造に加わることとなり、キエフキエフ航空機工場「アヴィアーント」でも生産が行われることとなった2003年12月30日耐空証明得た。しかし、それ以来予算問題により開発が遅いままであった。2006年12月時点での確定注文はアトラント・ソユーズ航空を含む7社で、ほかに24社が購入計画していた。また、イラン航空産業機構(IAIO)は、Tu-214とともに2015年までライセンス生産実施するための交渉をしていた。2008年ツポレフには100航空会社関心示した報告した2008年7月31日に、ツポレフマネージングディレクターSergei Ilyushenkovは遅くとも2009年1月より生産開始することを目標とすることを発表した。しかし、計画は進まなかった。 2009年、同クラスAn-148スホーイ・スーパージェット100開発注力するために、Tu-334計画破棄された。 コックピット キャビン

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M2軽戦車」の記事における「開発経過」の解説

M2軽戦車1935年末に、アメリカ陸軍歩兵科戦車として、イリノイ州ロックアイランド工廠にて開発された。試作車T2E1軽戦車制式化され、M2A1軽戦車となったそれまで開発されT1E4T1E6、T2、各軽戦車は、イギリスヴィッカース 6トン戦車設計影響受けていた。よってそれらの改良発展型である本車影響受けていた。T2軽戦車までは、ヴィッカース 6トン戦車のようなリーフスプリング・サスペンション方式複雑な足回りだが、T2E1軽戦車からは、より単純なVVSS(垂直渦巻スプリング・サスペンション)方式採用していた。これは後のアメリカ軽戦車中戦車踏襲された。履帯はダブルピンで、サイドガイド形式となっていた。 各型は、副武装として車体前面右側M1919A4 7.62 mm 機銃を1挺装備していた。車体砲塔装甲溶接技術未熟であったためにリベット留めであった砲塔人力旋回方式であった最初生産型M2A1は、主武装としてM2 12.7 mm 機銃1門(砲塔前面左側)とM1919A4 7.62 mm 機銃1挺(同右側)を同軸で、砲塔上面後部左寄り円形キューポラ備えた2人用車長機銃手)の単砲塔搭載していたが、わずか10輌(19輌説あり)で生産終了となったエンジンコンチネンタル W-670-7 空冷星型7気筒ガソリン・エンジン出力262hp)であった。 代わって、2つ銃塔を、左右並列配置(M2機銃1挺装備キューポラ付きの左砲塔車長機銃手M1919A4 機銃1挺装備キューポラ無しの右砲塔機銃手)で搭載したM2A2生産移された。このような砲塔軽戦車は、オリジナルヴィッカース 6トン戦車E型 Type Aの他に、ソ連T-26ポーランド7TPなどが同時期に存在していた。左右並列配置された2基の銃塔を持つ外観から、当時有名だった巨乳女優にちなんで「メイ・ウエスト」と兵士たちには呼ばれた。左銃塔には円形キューポラ設けられた。M2A2239輌(237輌説あり)が完成したその後スペイン内戦戦訓から、アメリカ陸軍はより強力な装甲武装必要性認識し1938年には、装甲強化車体延長サスペンション改良をした、M2A3開発された。エンジンコンチネンタル W-670-9 空冷星型7気筒ガソリン・エンジン出力262hp)に変更された。左銃塔キューポラ六角形改められている。M2A372輌(73輌説あり)が完成した1940年には、双砲塔をやめて2人用大型砲塔に、主武装として53.5口径のM3 37 mm 対戦車砲50口径に短砲身化したM5 37mm 戦車砲基本的に対戦車砲のままであり、そのため砲身の下の駐退復座機車外露出していた)と同軸機銃M1919A4 機銃1挺を装備した最終型M2A4採用至ったM2A4では装甲もさらに強化されており、最大装甲25.4 mm1インチ)に達している。車体左右スポンソン前部に、M1919A4 機銃が1挺ずつ装備されるようになった砲塔上面には車長キューポラ設けられキューポラ後部対空機銃装備も可能であったM2A4375輌(アメリカン・カー&ファウンドリー社で1940年5月から1941年3月にかけて365輌、ボールドウィン・ロコモーティヴ社で1942年4月10輌)が完成した。 しかし、フランス戦での戦訓から、なお一段と強力な戦車が必要であると考えられ1940年7月にはM2軽戦車ベースとした新型軽戦車開発始まっている。この新型軽戦車M3軽戦車として完成し1941年3月M2軽戦車生産打ち切られた。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/03 06:52 UTC 版)

ヤマト1」の記事における「開発経過」の解説

1985年昭和60年) - 日本造船振興財団主体になり「超電導電磁推進開発研究委員会」を設立電磁推進船の構成およびシステム調査超伝導電磁石低温技術調査回流水槽設計製作。 1986年昭和61年電磁推進船の推進効率研究超伝導電磁石設計船上・地上用ヘリウム冷却装置設計実験棟建設電極材の研究1987年昭和62年電磁推進船のモデルテスト。 超伝導電磁石詳細設計単体コイル製作。 長水建設1988年昭和63年電磁推進船の詳細設計。 コイル・クライオスタットの製作。 冷却装置製作。 試験航海海域調査1989年平成元年)[元号検証] 電磁推進船の建造着手艤装コイル推進装置組み立て調整三菱造船神戸内に陸上支援施設建設1990年平成2年電磁推進船の完成命名式。 推進装置調整1991年平成3年ヤマト-1電磁推進装置搭載調整1992年平成4年ヤマト-1神戸湾において海上試験航行評価など行なう

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九二式歩兵砲」の記事における「開発経過」の解説

1920年代中頃から、歩兵砲主要任務として、機関銃では捕捉できない敵陣地の制圧加えて対戦車防御掲げられるようになったが、当時配備中の十一年式平射歩兵砲では対戦車性能が不十分であることが提起された。陸軍中央部1928年昭和3年11月十一年式平射歩兵砲整備現在の程度留め新たに平曲両用砲平時より常設師団全て整備することを決定した。 後に九二式歩兵砲となる平曲兼用口径70mmの軽歩兵砲は1928年陸軍技術本部にて研究開始1930年昭和5年3月、「試製軽歩兵砲」の第1号砲が竣工した同年6月にかけて各種試験実施その結果受けて改修され試製第2号歩兵砲が翌1931年昭和6年5月竣工した同年9月から第2号砲の実用試験実施した陸軍歩兵学校は、試製軽歩兵砲と試製歩兵随伴砲及び従来制式平射曲射歩兵砲比較報告行っている。この結果試製軽歩兵砲は平射歩兵砲比較して重量倍加しているものの運動性大きな遜色なく、曲射歩兵砲比較する運動性劣り形態も大であるので第一線中隊付近に使用するには一考要するが、敵前中距離にある連大隊長側近砲としては曲射歩兵砲優る判定された。歩兵随伴砲との比較では、射程弾丸威力においては劣るものの歩兵砲として充分であり、運動性において優り精度においても優る場合がある、但し対戦車砲として劣ることは免れないとしている。 以上のように、軽歩兵砲は歩兵大隊長の側近砲として適当であると認められたため、1932年昭和7年3月12日制式制定上申同年7月6日九二式歩兵砲」として仮制式制定された。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/06 23:33 UTC 版)

装甲作業機」の記事における「開発経過」の解説

第二次世界大戦前ソ連仮想敵として満州方面での戦闘想定していた日本陸軍は、ソ連国境陣地攻撃や、密林湿地帯突破重要課題考えた。そこで、1929年昭和4年)に定めた研究方針に基づき1930年昭和5年)に、路上障害物排除トーチカ破壊主目的とした戦闘工兵車開発始めた研究担当工兵機材担当陸軍技術本部第二部であった1931年昭和6年6月三菱重工業試作車完成した主目的の2機能加え塹壕掘削化学兵器撒布及び除去火炎放射地雷除去煙幕の展開といった各種機能がこなせる万能工作機械として設計されていた。これは財政難などから多機能期待されたためである。ただちに工兵学校などでの実用試験始まり1933年昭和8年)には特別工兵演習参加した折り畳み式架橋設備追加などの改良経て1936年昭和11年)に九六式装甲作業機として仮制式となったこの際第一級秘密兵器取り扱いとなっている。 搭載通信機としては1935年昭和10年)から新型無線機研究され九六式四号無線機として制式化された。比較的に車内容積余裕があったため、従来日本戦車無線機よりは性能良好であった。そのため、後に九七式中戦車車載無線機にも採用され1941年昭和16年)から1945年昭和20年)まで80生産されている。 なお、日本陸軍において戦車歩兵科所管であることに配慮し本車武装自衛用にとどめられた。車体八九式軽戦車亜種というべきものであるが、歩兵科刺激しないように新規開発専用車ということになっている。名称も作業機と称して戦車との違い強調し助数詞も「輌」ではなく「機」を用いている。足回り八九式軽戦車と少し異なっている。 1937年昭和12年)にはエンジン原型車の八九式中戦車同様に空冷ディーゼルエンジン変更し作業具も改良した乙型開発された。その後1944年昭和19年)までに丙型から戊型の各改良型開発された。当初は非常に多機能であった実用性乏しく最終型戊型ではトーチカ攻撃架橋火炎放射地雷除去絞り込まれていた。代わりに数種の単能工兵車両が開発されている。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 05:36 UTC 版)

四式戦闘機」の記事における「開発経過」の解説

1941年昭和16年12月29日キ44(のちの二式戦)の発展型として中島対し最高速度680 km/h以上、20mm機関砲2門・12.7mm機関砲2門装備制空防空襲撃など、幅広い任務使用可能な高性能万能戦闘機開発指示なされた当初キ44の2,000馬力級エンジンハ145搭載型であるキ44-III(計画のみという説と少数試作されたとの説がある)をベース翼面積増やして着陸容易にし、燃料搭載量増して航続距離伸ばし強力なエンジンにより速度上昇力の向上を狙ったものになる予定であった。 しかし、キ84最初から広大な太平洋戦域運用される事が決まっていたため、更なる航続距離伸長求められ燃料搭載量増加とともに翼面荷重計画値155 kg/m2に収めるために翼面積拡大余儀なくされ、2,700 kg程度目されていた全備重量は3,000 kg優に越え見通しとなった。それに対応して翼面積増やすとまた重量増加するという悪循環に陥り、特に主翼設計難航した。さらに、前線からの要求防弾防火装備武装強化なども必須となり、これも重量増加する一因となった結局主翼面積計画値の17.4 m2から最終的に21 m2となり、予定していた全備重量実機自重になってしまう程だったが、紆余曲折経てようやくキ84設計まとまり1943年昭和18年3月試作1号機完成4月初飛行した。陸軍側で初めキ84操縦した陸軍航空審査部飛行実験部戦闘隊(旧飛行実験部実験隊戦闘機班)キ84審査主任テストパイロット岩橋三少佐は、「これはいける」と笑いながら述べ設計主務小山以下の開発スタッフ感涙に咽んだエピソードがある。試験飛行は1〜3号機までは比較順調に進み好成績収めたが、量産型ハ45搭載した4〜7号機ではエンジンプロペラトラブル悩まされ、特にエンジンに関して試験間中最後まで解決しなかったと伝えられる問題抱えながらも一刻早い実用化生産体制整備目的に、また審査部テストパイロットである荒蒔義次少佐進言もあり、増加試作機10以内という従来方針転換して審査試作併行して進めた結果制式前100機を超える大量増加試作機生産された。1944年皇紀2604年)4月キ84四式戦闘機として制式採用され、順次中島太田工場宇都宮工場量産開始された。 中島では1942年からキ84より航続時間延長し大型排気タービン高高度性能を向上させたキ87開発していたが、トラブル多発キ84開発優先したことで計画は遅れ終戦に間に合わなかった。

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開発経過

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 21:29 UTC 版)

XF9 (エンジン)」の記事における「開発経過」の解説

研究開発複数計画分けて段階的に進められている。 「次世代エンジン主要構成要素研究(2010-2015)」でエンジンコア部(高温燃焼器高温高圧タービン軽量圧縮機)の研究行い続いて戦闘機エンジン要素研究 (2013-2017)」ではエンジンコア部に加えてファン低圧タービン研究行った。 XF9の開発はこれらの計画得られ技術統合する形で「戦闘機用エンジンシステムに関する研究(2015-2019)」として進められた。 プロトタイプエンジンであるXF9-12018年6月防衛装備庁納入され性能確認試験2020年7月まで実施された。 2019年4月10日最大推力確認試験様子動画公開された。

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