開発・試験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 02:20 UTC 版)
「広島電鉄3500形電車」の記事における「開発・試験」の解説
本形式の開発には、川崎重工業・東急車輛製造(現:総合車両製作所)・アルナ工機(現:アルナ車両)・三菱電機・東洋電機製造・富士電機・住友金属工業(現:新日鐵住金)・日本エヤーブレーキ(現:ナブテスコ)と車体・台車・電装品・冷房機・ブレーキと開発対象となった各コンポーネントにかかわる国内メーカー各社が参加しており、その製造についても各社が分担して担当した。 なお、この軽快電車プロジェクトでは試作車である本形式と一部設計を簡略化した実用車である長崎電気軌道2000形2両を平行して製造、同時に完成し報道陣に公開されるという開発経過をたどった。 本形式は日本鉄道技術協会の軽快電車開発委員会による技術開発プロジェクトの実証試験車として計画され、その性能試験についてはプロジェクトのメンバーであった広島電鉄が本線走行テストの場を提供する、という形態が採られた。このため、車籍は便宜上当初より広島電鉄籍とされたが、委員会によるプロジェクト終了後の1981年3月に広島電鉄側が購入するまでは日本鉄道技術協会側が所有権を保有していた。さらに、計画の初期段階では受け入れ先を明確にせず、純粋に技術開発のテストベッドとする方向で設計が進められた。それゆえ当初は2車体連接車として計画されており、機器類もそれを前提に開発・設計が進められていた。 このような事情から受け入れ先が広島電鉄に決定した後、同社側の強い要望で3車体連接車に設計変更された段階では、既に完成した機器類の構成変更が困難な状況となっており、電装品には手をつけずそのまま動力装置を備えない1台車と1車体を2車体間に挿入するという措置が採られている。これにより2車体時には3.6km/h/sが得られるはずであった加速性能は2.65km/h/s(180%乗車時)にまで低下し、長期的には駆動系や制御器などに負担をかける結果ともなっており、本形式単独では決して成功とは言い難い状況となっている。最高速度は80km/hである。 とはいえ、本形式の開発およびその試験で得られたデータやノウハウは、以後の日本における本格的な路面電車製造の再開、およびその発展に非常に大きな影響を及ぼした。 特に本形式による性能試験の舞台となった広島電鉄においては、開発時点で極端なまでに先鋭的であった本形式の設計をより実用的なものへと落とし込んで現実解を得るための努力が続けられ、それは700形 (2代)・800形 (2代)・3700形といった以後の新造車群に順次結実していった。 またこの開発委員会方式での技術開発実績は、21世紀に入ってから行われた超低床路面電車開発プロジェクトにおいても同様の手法が踏襲されるなど、現在もなお影響を及ぼし続けている。
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