開発計画と農業・漁業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/27 21:54 UTC 版)
「むつ小川原開発計画」の記事における「開発計画と農業・漁業」の解説
第二次世界大戦終結後、満州国や樺太などからの引揚者の定住および食料増産を目的に、1945年より政府と青森県は緊急開拓事業を開始した。馬鈴薯、アブラナ、ダイズなどの畑作が行われたが、1953年・1954年の冷害による凶作を機に酪農・畜産に転換していった。1962年には国策により六戸町にフジ製糖(現フジ日本精糖)青森工場操業開始。政府によるテンサイ作付け奨励策がとられたが、1967年には貿易自由化によりフジ製糖工場が閉鎖。農業政策の失敗により、多くの農業者が農地を売却して借金を返済し、離農する選択をしたが、むつ小川原開発計画の失敗により、進出企業の雇用も実現しなかった。 下北半島太平洋側にあたる六ヶ所村沖は好漁場で、ホタルイカ漁を中心にサケの定置網漁、コンブ・アワビの採取などが行われていた。村内には泊・六ヶ所村・六ヶ所海水の3つの漁業協同組合があり、そのうち泊漁協が漁獲高の9割以上を占める。開発計画に対し当初は反対運動が行われたが、むつ小川原港建設に関しては泊漁協は漁場から離れていたこと、他2漁協は農業との兼業で漁業依存度が低いことから概ね協力的であった。
※この「開発計画と農業・漁業」の解説は、「むつ小川原開発計画」の解説の一部です。
「開発計画と農業・漁業」を含む「むつ小川原開発計画」の記事については、「むつ小川原開発計画」の概要を参照ください。
- 開発計画と農業・漁業のページへのリンク