開発経緯と音速突破までとは? わかりやすく解説

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開発経緯と音速突破まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 04:49 UTC 版)

X-1 (航空機)」の記事における「開発経緯と音速突破まで」の解説

第二次世界大戦の影響もあり、1930年代から1940年代にかけてレシプロエンジン急激に進化しそれに伴い航空機速度右肩上がり増加していった。しかし航空機速度が700km/hを超えるあたりになるとプロペラ先端翼上面空気流が音速マッハ 1)に近づき衝撃波発生して空気性質激しく変化するうになる抗力急増すると共に機体異常な振動(バフェッティング)を起こし場合によっては操縦不能空中分解ということもあった。これがいわゆる音の壁である。 レシプロエンジン場合これがスピード限界であり、音速飛行は夢の話であった。しかし1940年代になると、各国ジェットエンジン開発されたことにより、音速飛行現実味帯びてきた。 アメリカベル社は1942年アメリカ初のジェット戦闘機XP-59を開発し1943年にはNACANASA前身に対して強力なジェットエンジンさえあれば超音速機製作することは可能と表明していた。しかし、超音速飛行が可能とは言われていたが第二次大戦の影響肝心研究予算がなかなか降りず陸軍航空隊資材部から研究予算降りたのは1944年1月になってからであったこれにあわせるようにNACA高速飛行審議会設立した1944年3月にはNACA陸軍航空隊ライトフィールドの資材司令部技術部海軍航空局の3者が今後の方針について検討おこなった。その席で陸軍は今すぐにでもマッハ1を超える航空機の開発要求一方海軍データ取りながら慎重に開発進め安全策主張したその結果陸軍海軍それぞれ別個に超音速機開発NACA協力しておこなっていくこととなった陸軍5月超音速実験機計画最優先指定し、以下ダイブによる遷音速飛行P-80による遷音速飛行という3段構え計画進めていくこととした。機体開発メーカーノースアメリカン社リパブリック社の2社が候補として挙がっていたが、この2社は超音速機開発を行う余裕はなかった。こうした中、11月ベル社の主任設計技師ロバート・ウッズは、この計画重要人物であったイーズラ・コッチャー少佐直接機体の製作を申し出て契約取り付けたその後高速飛行審議会航空技術補給本部のコッチャー少佐ベル社は協議重ね1944年末には高速実験機計画 MX-524 の主な仕様決定した。MX-524の当初目標は、遷音速研究超音速飛行視野入れておくというもので、自力での離着陸行えるなどの条件含まれていた。しかしエンジンについてロケットエンジン比べ非力だが燃焼時間長いジェットエンジンにするか、ジェットエンジン比べ強力だ燃焼時間の短いロケットエンジンにするかは決まっていなかった。胴体の形状は、当時存在した超音速飛翔体である12.7mm弾の形状モデルとし、これに翼をつけたような形状となっていた。そのため風防胴体一体になっており、視界決していいものではなかった。

※この「開発経緯と音速突破まで」の解説は、「X-1 (航空機)」の解説の一部です。
「開発経緯と音速突破まで」を含む「X-1 (航空機)」の記事については、「X-1 (航空機)」の概要を参照ください。

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