開発経緯と実戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 14:29 UTC 版)
「フォッケウルフ Ta152」の記事における「開発経緯と実戦」の解説
フラッペ & ローランによれば、1942年の秋、先に述べたFw190の性能向上策(短期プログラム)が検討された時、長期プログラムとして、現有の戦闘機の改良ではない、新たな高々度戦闘機の開発も計画されていた。この際メッサーシュミットはMe155Bを提案したが、フォッケウルフはFw190Cで採用が見送られたDB603を搭載した、Fw190の更なる改善型を検討した。計画名称はFw190Ra-4。また、Bf109にDB601、Fw190AにBMW801、Fw190DにJumo213が採用されていたことから、これらと競合しないDB603の採用はエンジンの供給面でも有利と考えられた。だが空軍はJumo213の使用を指示し、1943年5月または8月に計画は承認、Ta152もそれを搭載して「特殊高々度戦闘機」の開発が行われることとなった。 野原 (2009) によれば、1942年初め頃、タンクはFw190Dをさらに改良した新型機、計画名称Fw190Ra-4を空軍に提案する。また別の文献によれば、1942年末頃に空軍から出された要求は、新技術を用い全面的に設計を改めた高性能戦闘機、などと言った感じの、漠然としたものであったという。計画は承認され、Ta-153として、メッサーシュミット Me209との競争試作が始まった。しかし1943年5月に競争試作は中止され、戦況を鑑み、つまり連合軍の新型爆撃機に対抗するための高々度迎撃戦闘機が必要であったため、Ta152として、改めて「特殊高々度戦闘機」として開発が行われることとなった。 いずれにしても1944年7月頃より既存のFw190を改造し、高々度戦闘機型のH型を優先して試作および飛行テストが始まったが、2機続けて墜落。その後も事故は発生したが開発は進み、1945年1月からは第301戦闘航空団(JG301〈英語版〉)にTa152H-1が配備され、実戦テストが開始された。原型機は高度12,000m付近でMW50を使用して750 km/h、13,800m付近でも737 km/hの速度を発揮した。 なお、フラッペ & ローランによれば、Ta152の最初の型は、A型ではなくB型である。これはFw190A型との混同を避けるためであるとしている。また野原(2006)によれば、B型は地上攻撃型としている。なおD型、F型、G型もFw190と混同してしまうため使用されず。さらにC型は将来のDB603搭載機の為に、E型は戦闘偵察機型の為に予約されていた。このような理由でTa152の初の量産機の型式はH型となったのである。 また1944年8月、空軍はようやくDB603の使用許可を下し、1944年12月から翌1月にかけにはDB603LまたはLAエンジン(離昇出力2,100馬力)を搭載し、翼を全幅11 mに切り詰めた中高度型のC1型が初飛行を行い、また、C11型までが計画され相当数が試作されたが、原型機その他少数機(一説には17機)が生産されたにすぎない。 総生産機数は文献により全く異なっており、参考文献に挙げた文献の内でも、終戦までにH-0型20機およびH-1型34機、1945年2月までに各型合計で67機、H-1型が約60機、H型160機ほど、百数十機、H-0が18機、H-1が24機かつ全型合計で67機、少なくとも150機、護衛戦闘機型H-2を含めH型が150機、などとされている。
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