常設化
常設化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 10:03 UTC 版)
第一次上海事変終息後、上海に引き続き特別陸戦隊を常駐させる必要が高いと判断された。そこで、同じ1932年の10月1日に、上海に特別陸戦隊を置くことを内容とした「海軍特別陸戦隊令」が制定され、上海陸戦隊は鎮守府から独立した官衙たる常設部隊の上海海軍特別陸戦隊に昇格した。これにより、他の陸戦隊は戦時の特設部隊であるのと異なり、唯一の常設陸戦隊となった。編制は2個大隊基幹の約2000人である。[要出典] 1937年(昭和12年)1月8日、日本海軍は「海軍対支時局処理方針」を決定した。この方針では、上海特別陸戦隊について、上海に特別陸戦隊2000人、漢口に200人を配置する計画が立案された。同年8月には第二次上海事変が、上海特別陸戦隊第1中隊長の大山勇夫中尉が中国側保安隊によって殺害されたことをきっかけに始まった。大川内傳七少将を司令官とする上海特別陸戦隊は再び優勢な中国軍と交戦し、苦戦を強いられたが、陸軍の上海派遣軍の到着までかろうじて防衛に成功した。 その後、華中方面の主力陸戦隊として陸軍に協力し、揚子江遡江作戦(1938年)などに参加した。太平洋戦争(大東亜戦争)中も終戦まで存続し、大陸方面での警備などにあたった。実戦部隊としての機能のほか、他の戦域へ派遣する特別陸戦隊要員の教育部隊としての役割も担っていた。例えば、ウェーク島の防衛に派遣された第65警備隊は、上海特別陸戦隊から抽出した1個大隊を基幹として編成された。 1945年(昭和20年)の日本の連合国への降伏に伴い、上海特別陸戦隊は中国国民党軍によって武装解除された。そして、上海海軍特別陸戦隊は廃止された。
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