常設代表機関の誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/29 00:22 UTC 版)
「カタルーニャ州政府」の記事における「常設代表機関の誕生」の解説
「ジャナラリター」は、バルセロナ伯ジャウマ1世(アラゴン王としてはハイメ1世)時代に、王が当時の社会的階層の代表を召集して面会するものであった、コルツ(Corts Catalanes ; ca、es、聖職者、軍人または貴族、市民代表の3身分で構成。コルテスに相当)にて誕生した。ペラ3世時代の1283年、バルセロナでのコルツにて、最初のカタルーニャ憲法が誕生した。この時期に、王は毎年通常のコルツを開催するよう義務化された。1289年、モンソンのコルツで、全体会議(Diputación del General)という、コルツが開催されない合間に常設代表機関を設置することが決められ、王に納める税金を集めることになった。この税金は一般的にジャナラリタツ(Generalitats ; ca、es)として知られ、王が戦費調達目的で行った。時を経て、税金から派生した「ジャナラリター」という非公式の名が、全体会議の名に取って代わって常設代表機関を意味するようになった。 1358年から1359年にかけ、バルセロナ、ビラフランカ・ダル・パナデス、サルベラでコルツが開催された。このコルツで、税問題についての執行権を持つ12人の議員を選出した。同様に、ジャナラリター初代代表に選出されたジローナ司教バランゲーの権威の下で、幾人かの監督者たちが行政部門を管理していた。 マルティー1世が後継者を指名しないまま急逝したことで生じた空位時代、ジャナラリターが政治的な責任を負った。議員選出のシステムは一定の議論の対象であった。1455年のコルツでは、縁故者登用による寡頭政治を避けるため、投票を採用した。任期を満了する議員が、無作為に選ばれた12人の候補のうちから選ぶようにしたのである。中世後期のジャナラリターは、君主に次いでカタルーニャの主たる統治機関であった。
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