飛行家として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 04:25 UTC 版)
「アルベルト・サントス=デュモン」の記事における「飛行家として」の解説
成人後にフランスで飛行船や航空機の開発に熱中し、様々な飛行記録をつくった。1901年には半硬式の飛行船6号機で、制限時間内にエッフェル塔の周りをまわる飛行にかけられたドゥーチ賞を獲得。6号機はパリの市民らからは"プティ・サントス"と呼ばれ親しまれた。9号機「バラドゥーズ」でブローニュの森にあるお気に入りのレストランであったラ・グランド・カスカードに降り立ちランチを楽しんだ話が有名である。バラドゥーズとは、散歩をする人、という意味である。一方でロスチャイルド邸の庭園に非常着陸(墜落)したこともある。自宅に緊急着陸し、使用人に淹れさせた珈琲で一息ついて再び飛び立った、という話も残る。 アメリカのライト兄弟に遅れること3年、1906年10月23日にエンテ型の動力機「14-bis」号の公開実験で高さ3m、距離約60mを飛行。11月12日再び公開で高さ6m、距離220mを飛行し、100m以上の飛行にかけられていたアルシュデック賞(アルクデアコン賞)を獲得した。これはヨーロッパにおける最初の飛行機の飛行であり、当時はライト兄弟の飛行が知られていなかったため「人類初の飛行」と大々的に報じられた。なお、デュモンはこの成功において賞金を慈善活動に供したのみだけでなく機体の特許を取らず、むしろ逆に誰にでも飛行原理を理解出来るよう設計図を公開してさえいる。 ドゥモワゼル号を含むこれらの(復元)機体は、フランスのル・ブルジェ航空宇宙博物館に展示されている。
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