本土決戦と終戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 07:48 UTC 版)
イタリア本土の戦いが開始された時、イタリア空軍は防御的な戦いを強いられる立場にあった。イタリア人パイロット達は海軍の艦艇を狙う連合国空軍と戦う為に多くの努力を続けた。膨大な連合軍機がシチリア島各地に来襲して爆撃を繰り返し、次々と地上の空軍施設や滑走路に攻撃を行っていった。これはイタリア空軍の活動に致命的な打撃を与えたが、ヴィシー領(オクシタニア)に駐屯していた空軍部隊がサルデーニャ島の部隊と共に来援すると再び抵抗が再開された。やがてクーデターが起こりムッソリーニは失脚、バドリオ将軍を首班とする政府が成立し彼らは連合国と休戦するが、それまでに行われた最後の戦いはアメリカ空軍に対する防空戦闘であった。 クーデター後幽閉されていたムッソリーニは、ドイツ軍によって救出され、ドイツの支援の下、北イタリアにおいてイタリア社会共和国(RSI)政権を樹立、イタリアの政府はRSI政府と王国政府(南王国、バドリオ政権)に分派した。すると、空軍もイタリア共同交戦空軍(南王国)とイタリア国家空軍(RSI)に分かれてそれぞれの指導者に忠誠を誓った。しかし両者が直接交戦する事は最後までなかった。何故なら前者は主にバルカン半島での後方防衛にあたり、後者は北イタリアとバルト海での防空戦に従事しており、戦域が被らなかった為である。終戦までにイタリア空軍は5,201機の航空機と引き換えに4,293機の敵機を撃墜した。 1945年5月8日に王国空軍は正式に再建されたが、1946年6月18日に国民投票により王政は廃止され、共和制に移行したため、イタリア共和国空軍(アエロナウティカ・ミリターレ)と改称された。
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