本土海岸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/12/16 17:43 UTC 版)
「チェルシークリークの戦い」の記事における「本土海岸」の解説
スターク隊のある者は家畜を海岸からさらに内陸に追っていっていた。他の者がダイアナが難渋していることに気付き、援軍を要求した。イズラエル・パットナム将軍とおよそ1,000名の部隊(ジョセフ・ウォーレンを含む)がチェルシークリーク河口のダイアナに近い海岸に来た。そこは現在のチェルシーがマクアードル橋でイーストボストンに繋がる所である。パットナムが腰まで浸かりながら港に入っていって、ダイアナの水夫に降伏するならば寛恕を与える提案をしたが、ダイアナの大砲は発砲を続け、深度の深い所まで引き出す試みも続けられた。植民地軍は海岸に据えられた2門の野砲の助けを得てダイアナへの発砲を続けた。ブリタニアおよびヌードル島に揚げられたイギリス軍の野砲が砲撃に加わった。午後10時頃、激しい砲撃のためにイギリス軍の漕ぎ手はダイアナ救出の試みを放棄することを余儀なくされた。ダイアナは漂流し、チェルシー海岸のミスティック川近くで再度座礁し、一方に傾いた。グレイブス海軍大尉はダイアナを放棄し、乗組員をブリタニアに乗り移らせた。ブリタニアはうまく深度のあるところまで引き出された。 植民地軍がダイアナに乗船すると直ぐに大砲、艤装、帆、衣類および金など貴重品を持ち出した。彼らは炊きつけとするために船尾に干草を置き、再びイギリス軍に取り返されることを防ぐために午前3時頃に火が放たれた。回収された大砲は恐らくバンカーヒルの戦いで大陸軍が使用することになった。
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