イギリス本国の反応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/14 07:42 UTC 版)
「フォークランド危機 (1770年)」の記事における「イギリス本国の反応」の解説
イギリスの議会が11月に開会すると、議員たちはスペインによるイギリスの国威への侮辱に激怒、ノース卿政府に行動を要求した。多くの議員は1768年のコルシカ危機でフランスによるコルシカ島併合を防げなかったことに怒っており、フォークランド諸島で同じ轍を踏むことを恐れた。イギリス外務省は「潜在的な戦争に備えて動員を開始した」。 脅しとその対抗としての脅しという応酬が続く中、スペインは1761年の第三次家族協約を発動してフランスの支持を得ようとした。一時はフランスの戦争大臣と外務大臣であるショワズール公爵が戦争に前向きだったこともあり3国間の戦争が勃発しそうな情勢だったが、フランス王ルイ15世はスペイン王カルロス3世に「私の大臣は戦争を欲したが、私は欲さない」と伝えた。ショワズールはルイ15世に解任されて領地に戻り、フランスの支援を得られなかったスペインはイギリスに妥協せざるを得なかった。
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