イギリス本国への食品輸出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 10:03 UTC 版)
「ジャガイモ飢饉」の記事における「イギリス本国への食品輸出」の解説
記録によれば、1840年代に起きた飢饉の最も酷い時期ですら、食料はアイルランドから輸出されていた。これに対し、アイルランドで1782年から1783年にかけて飢饉が起きた際は、港は閉鎖され、アイルランド人のためにアイルランド産の食料は確保された。結果、すぐに食料価格は下落し、商人は輸出禁止に対して反対運動を行ったが、1780年代の政府はその反対を覆した。ところが、1840年代には食料の輸出禁止は行われなかった。 アイルランドの飢饉についての権威であるセシル・ウッドハム=スミスの著書『The Great Hunger; Ireland 1845-1849(大飢餓、1845年 - 1849年のアイルランド )』で次のように言及した。 (前略)飢餓でアイルランドの人々が死んでいっている時に、大量の食物がアイルランドからイングランドに輸出されていたという疑いようのないこの事実ほど、激しい怒りをかき立て、この2つの国(イングランドとアイルランド)の間に憎悪の関係を生んだものはない。 実際、アイルランドはジャガイモ飢饉の続いた5年間のほとんどを通して、食料の純輸出国であった。リヴァプール大学のフェローであり、飢饉に関する2つの文献、『Irish Famine: This Great Calamity(アイルランドの飢饉という大災害)』および『A Death-Dealing Famine(死に物狂いの大飢饉)』の著者であるクリスティーン・キニアリーによれば、子牛、家畜類(豚を除く)、ベーコン、ハムのアイルランドの輸出量は飢饉の間に増加していた。飢饉が起きた地域のアイルランドの港からは、護衛に守られながら食料が船で輸出されていた。貧困層は食料を買う金もなく、政府は食料輸出禁止も行わなかった。 ただ、アイルランドの気象学者のオースティン・バークは著書『The use of the potato crop in pre-famine Ireland(飢饉前のアイルランドでのジャガイモの使用について)』の中で、ウッドハム=スミスのいくつかの計算に異議を唱え、1846年12月の輸入量はほぼ2倍になっていると書いている。 簡単なその場しのぎの穀物のアイルランドからの輸出禁止では、1846年のジャガイモの収穫を失ったことによる不足分に対応することは出来なかったのは明らかである。
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