イギリス東インド会社の商館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 03:00 UTC 版)
「コルカタ」の記事における「イギリス東インド会社の商館」の解説
コルカタの歴史は、1690年にイギリス東インド会社のジョブ・チャーノックがこの地に商館を開設したことにはじまる。1698年にはフーグリー川東岸に並ぶスターナティー、カーリカタ、ゴーヴィンドプルの三村の徴税権が購入され、まもなくウィリアム要塞の建設が始められた。この地域がのちのコルカタのもととなった。町の周りにはマラーター濠と呼ばれる広い堀がめぐらされていた。 1756年、ムガル帝国のベンガル太守シラージュ・ウッダウラは、イギリスがウィリアム要塞の強化を図ったことを理由としてコルカタを占領し、捕虜となった100人以上のイギリス人を獄死させた。1757年になるとマドラスの東インド会社軍がコルカタに到着し、ロバート・クライヴ率いる軍はコルカタを奪回したうえでフランスの拠点だったシャンデルナゴルも占領した。 その後、コルカタの北150キロ程度に位置するプラッシーでもフランス支援下のシラージュ・ウッダウラ軍を撃破(プラッシーの戦い)して、インドにおけるイギリスの優勢を決定的なものとした。戦後、イギリスはフランスをインドからほぼ完全に追い落とすことに成功し、また新ベンガル太守であるミール・ジャアファルからコルカタだけでなくベンガル地方24郡の徴税権を確保してインド拠点をさらに拡大した。
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